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バイクで左手を骨折した「事件」について

これはノンフィクションドキュメンタリーです

 1998年6月17日(火)。1限がなかったのに寝坊した俺は、1週間前に届いたばかりのバイク(HONDA Gorillaの中古。50ccだけど、やたら走る。おやじが言うには、チューニングしてあるらしい。おやじが自分の趣味で買ってきたから、よく知らない。エンストしやすいのが欠点)で豊田市駅まで行こうと思った。しかし、どう考えても間に合わないことが判明。いちかばちか、名大までバイクを飛ばす。

 家からのルートは決まっている。まずは国道301号線に出て豊田市街へ、あとは国道153号をひた走り、植田一本松交差点を直進して東山公園テニスセンターの脇を抜け、中京テレビの横を通り、八事日赤で山手通りに乗れば名大だ。実際、ちょうど1時間で名大についた。電車&バスでは1時間15分。駐輪許可証がないので、エンジンを止め、バイクをひいて歩道から構内へ入る(小心者)。10時30分、ぎりぎりセーフ。駐輪場へ持っていく暇がないので、新1号館の近くに置いておき、昼休みに共通棟裏の駐輪場へと動かす。

 盗まれてはたまらんので、ロックは厳重に行なう。単車用のU字ロックはもちろん、ハンドルを左足に向けたまま固定するハンドルロックも付けてある。U字ロックだけでは、スケボーに乗せて持ち去られる可能性もあるからだ。

 さて、講義も無事終わり、サークル(鉄研)にも顔を出し、帰るとする。只今午後7時。エンジンをかけたら、ギアがNになっておらず、急発進。縁石に勢いよくぶつかってしまった。特に外傷は見られないので、気を取り直してもう一度エンジンをかける。今度はOK。家路につく。何故か気分が乗らない。

 そのまま帰っては面白くないので、153号を天白区内で左折し、302号へ。長久手経由で帰る。

 名古屋インターを過ぎたあたりのこと。信号待ちをしていたらエンストしてしまった。この時、ハンドルを固定している2つのボルトのうち、右側のナットが欠落しているのに気がついた。このままでは危険なので、近くにあったGSでナットの補充を頼んだが、案の定GSではできないとのこと。「もう少し行くとレッドバロンがあるから、そこなら」と教えられたが、レッドバロンは見つからず。スピードメーターも動かなくなってしまった(後日談:これは縁石にぶつけたのが原因らしい)。家までは20km近くある。ハンドルを動かさないように気を付けながら、家路へ向かう。すでに午後8時を回った。時々金属が何かに当たる音がしたが、この時はまさかタイヤのボルトが外れる音だとは思わなかった。

 何とか豊田市街を抜けた。今までは土地勘がなかったので幹線道路しか走らなかったが、ここからはいつも使っている道なので、なるべく交通量の少ない道を選ぶ。バイク屋の前を通ったが、すでに8時半を過ぎており、閉まっていた。家まであと10分もかからない。そう思いつつ、何とか家に着くまで粘るつもりでいた。

 しかし、タイヤは家まで耐えられなかった。家まであと5分というところで、6本あるタイヤのボルトの3本目が外れ、グラグラになってしまった。こうなると操作不能である。バイクは俺の意に反してS字行動を取り、俺は前方に吹っ飛ばされてしまった。

 どうも俺には、悲劇が起きたときにそれを見せびらかす癖がある。今回でも、吹っ飛ばされたまま暫く動こうとしなかった。この状態で車が来ればひとたまりもないのだが、すぐ後ろを車が走っていたのは分かっていたし、その車が止まってくれたのも分かっていたし、他の車の来る気配もなかったので、動こうとしなかった。すぐ後ろを走っていた車を運転していたおじさんが降りてきて、「大丈夫か」と聞く。「ふらふらしてたから、危ないなぁと思ってたんだ」と言いつつ、壊れたバイクを道路上から取り除く作業をしてくれている。俺はようやく立ち上がり、おじさんの手伝いをする。左手首を曲げると痛む。右肘を擦りむいている。左右の膝は打僕している。

 作業が終わり、家に連絡をとろうとカバンから携帯電話を取り出す。が、こういう大事なときに限って電池がない。おじさんが携帯電話を貸してくれた。有り難い。一段落着いたので、おじさんは帰っていく。おかんが飛んできた。おやじも駆け付けた。自分のおもちゃ(=バイク)が壊れているのでショックのご様子。タイヤを見て「こりゃ誰かにやられただぞ」という。1週間で3本もボルトが(しかも同時に)外れるなど考えられないという。ごもっとも。とにかく、今夜は、レポートもやらず、安静にしている。


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