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2023|03|
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2003年04月24日(木) [長年日記]
昨日の夕方、大学で自殺がありました。
自殺現場が私のいる研究室のある建物だったので(10階のベランダから飛び降り)、某氏から「おまえが飛び降りたのかと心配した」と言われてしまいました。他にも心配された方がいるかもしれません。ご安心ください、残念ながらこの通り私はまだ生きています。
私の場合、自殺するくらいなら、引きこもります。世を恨み、自分を哀れんで、毎日泣いて暮らします。
私には悲しいことに自殺するほどの勇気がありません。それに、鬱にはなっていますが、自殺に直結する「自分への罪悪感」は特に感じていません。感じているのは、自分の能力のなさ、価値のなさ、存在意義のなさ。それらは自分が過小評価しすぎていて、客観視すれば鬱になる必要など全くないことなのかもしれません。
「自分はいてはいけない人間である」のではなく、「自分はいなくてもいい人間である」。自分を恨むのではなく、哀れむ。もっと言えば、自分が憎いか、可愛いか(自己嫌悪に陥るくらいだから、「好き」とは言い難いかもしれないが)。自殺と引きこもりの違いはそこだと思います。
自分はここにいる必要はない。自分がいなくても、世の中ちゃんと回っていく。だから、自分は身を引く。
でも、その選択は辛くて悲しくて寂しいと思う自分もいるので、自分の殻に閉じこもって、誰かが殻を破ってくれるのを待っている。
♪誰かが救いの手を君に差し出している、だけど今はそれに気づけずにいるんだろう。(優しい歌/Mr. Children)
引きこもりについては、拗ねてるとか、いじけてるとか、甘えてるとか思われるかもしれません。けど、足下がしっかりしなきゃ、前を向いていられません。
この3週間で、自分を確認し、人とのつながりを確認しました(赤い糸がないのが至極残念)。私はここにいる。一人じゃない。
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