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※意見には個人差があります。(c)さだまさし

※つっこみ機能は終了しました。


2001年08月01日(水) [長年日記]

今日は大学院入試の願書提出日です。研究室のみんなと一緒に出しに行こう、という話になっていたので、9時ごろ研究室に出向いて(本当は8時集合だったが起きられなかった)、願書を見せ合って、出しに行きました。行列を予想していたのですが、拍子抜けするくらいしか人がいませんでした。で、願書と一緒に志望動機を書いた用紙も提出するのですが、これをかなり適当に書いてしまいまして、しかも本チャンの用紙にボールペンで書いてしまって、しかも修正液使用不可なんて但し書きが書いてあるので、適当なまま提出してしまいました。さあ、どうしましょ?

昼は下宿でお勉強・・・・・・のつもりだったんですがねぇ、ホームページいじったり(JavaScriptがかなり増えた)、コンピュータ相手に四暗刻を2度決めたりして遊んでいたので、ぜんぜん勉強していません。8月になったというのに、願書を提出したというのに。そういえば最高気温39.3度だそうで、クーラーの効いた部屋の中にいたから気づきませんでしたよ、でも朝でも十分暑かったけどね。

夜はバイト(参院選)の打ち上げ、トークするトークするトークする。昼の部と夜の部に分かれていまして、それぞれ5〜6人のローテーションを組んでいるので、昼と夜のバイト君が顔を合わせるのは交代の時の数分だけで、なかなか話す機会がなかったのですよ。いやぁ、楽しかったです。ごちそうさまでした。


2001年08月02日(木) [長年日記]

さすがにそろそろ勉強しないとまずいなぁ、と思ったからかどうかは知らないけれど、勉強しに図書館に行きました。閲覧室も混んではいたものの空席があって、勉強できる体制が整った・・・・・・のですが、30分でヤルーキ減退。以降2時間昼寝モード。勉強しに行ったんじゃなく昼寝しに行ったことになりました。やっぱ部屋で勉強した方がいいなぁ、とは思うのですが、まだ勉強できる状態ではありません。昨日までに机の上は片づけたのですが、その周辺にビデオテープやらプレステのソフトやらが散乱しており、椅子を動かすことができない状態です。これから何とかしなきゃなぁ。

ついでに我らがドラゴンズは昨日に引き続き打線やるきなし、2試合で取った点がゴメスのHR1点だけとはどういうことでしょうね?

追記。トップランナーに真中瞳が出演してました。もちろんしっかり見てました、15分前にテレビ欄見てて発見したので危なかったですが。で、当然のことながら映画の話になりました。気になったので、30日に行きそびれた京都朝日シネマがいつまで「ココニイルコト」を上映しているか調べましたところ、明日まで。京都以外の上映地(札幌、東京、横浜)も明日まで。4日以降は福岡まで見に行かなくてはなりません(しかもレイトショー)。さすがにそれは面倒くさいです。ということで明日は京都に行ってきます。横浜か東京に行って、ついでに遊んでこようかとも思いましたが、今から出ないと間に合いそうにありません。さすがに眠たいので、京都にします。


2001年08月03日(金) [長年日記]

京都へ映画を観に行ってきました。何の映画かは昨日の日記参照。旅行記として独立させようかと思ったのですが、独立させるには大したことしてないので、ここに書くことにします。

朝8時に家を出ました。で、津に用事があったので、まずは津に出かけます。というのも、上映時間は午後4時10分〜、6時25分〜、8時40分〜と遅い時間になってるからです。で、津に向かいます。途中の吉野家で朝食です。吉野家は並盛280円になりました、が、大盛440円、特盛540円。安いのは並だけだった!皆の者、騙されるでないぞ。(参考までに、すき家は(並)280円(大盛)380円(特盛)480円、松屋はみそ汁付きで(並)290円(大盛)390円(特盛)490円。なか卯は吉野家と同じ、ただしセットメニューがある。)

で、津に着いたのが12時過ぎ。四日市で工事をやっていて渋滞したのと、某銀行で2000円札に両替してくれと頼んだらやたら時間がかかったのとで、予定より45分遅れ。とっとと用事を済ませ、西へ進路を取ります。ルートは津→(R23)→久居→(R165)→青山町→(R422)→上野→(R422)→信楽→(R422)→大津→(R1)→京都。いやぁ、R422はなかなか濃かったです。特に上野と信楽の間ですね。

京都に着いたのは午後6時過ぎ。ジャストタイミング。で、映画を観ました。最近は自分の意志で映画を見に行ってるので、上映中に寝ることも、ポップコーンを食べることもなくなりました。といっても、両手で足りるほどしか映画館では観ていないんですけどね。感想はですね、別段ハートフルな映画って訳でもないんですが、あったかくなりました。ついでに、またちょっと大阪が好きになりました。ま、ええんとちゃいますか。それで、初めてパンフレット買いました、でも600円は高かった気がします。

帰りは湖岸道路&R21&R22を激走。4時間で戻ってきました。でも前回の鈴鹿峠経由なら4時間かからなかったので、少なくとも帰りでは鈴鹿峠経由の方がいいんでしょう。


2001年08月04日(土) [長年日記]

暇に任せてパソコンに向かってるので、先月の日記でも書き足してるところがかなりあります。そちらもどうぞ。

今日は、いつもの通り12時に起きたので「久しぶりに吉本が見れる〜」と思ってテレビつけたら世界陸上。がっかりしてたら、12時半から生放送でやってくれました。やっぱ吉本はいいですね。はい。

さて、今日は本来なら何もない一日だったはずなのですが、何かある一日にしてしまいました。暇つぶしのものを求めるべく(←だったら勉強せい)大須へ行き、PS2購入後1年4ヶ月たって初めて、とうとうPS2のソフトを買いました。そのソフトとは、ご多分に漏れず、FFXです。あー、ついに買ってしまいました。とりあえず2時間ほどやってみました。やはりグラフィックがすごいです、きれいです、というより、あらが目立たなくなりましたね。FFVIIIやIXではけっこう無理してるところもあったので。さすがPS2です。声が出るのは当たり前に感じてしまいました。

FFXを買ったとき目に入ったこと。「電GO!新幹線」、8月30日から9月20日に発売延期。院試が終わった日に発売されるので「これは遊びなさいと言う啓示か!?」なんて思ったのですが、残念。この時期では遊んでる暇などないかもしれないなぁ。


2001年08月06日(月) [長年日記]

床屋に行くついでに帰省しました。普通に書いてるけど、何も知らない人が見たら、おかしいよなぁ、この行動。なんてね。


2001年08月07日(火) [長年日記]

今日は午前中雨が降るそうです。朝起きて、もとい、昼起きて、雨が止んでいたようなので、名古屋に戻ったのですが、その途中、雨が降ってきました。びしょぬれ。なので、雨宿りがてらジャスコ三好店に初潜入。なるほど大きいのですが、岡崎も鈴鹿(ベルシティ)も富田(四日市北)も同じような雰囲気。どこもこんな感じなのかねぇ?


2001年08月08日(水) [長年日記]

更新間隔が開いてしまいました。これはひとえにFFXをやってるせいです。5日間でプレイ時間が22時間半。一日平均4時間半。さぞかし勉強が進んでいないだろうと思いきや、違うのです。今までパソコンに向かっていたりお出かけしてたりした時間がFFに向けられているので、勉強時間は以前と変わっていないのです。・・・・・・変わっていないので、ほとんど勉強してないことに変わりはないのですが(汗)。でも毎日机に向かうようにはしています。向かっているだけでなく、過去問をちゃんと解いてます。ただ、そのペースが遅いだけです(汗)。

さて、今日は「まるはちの日」です。名古屋市の市章が○の中に八を入れたものだからです。で、市がいろいろとイベントをやってくれるわけですが、そんなのはあまり興味がなくて、まるはちに因み毎月8日は市バス・地下鉄の一日乗車券が安いのです。最近テレビに向かってばかりなのでたまには外出しようと思って、まだ乗っていなかった「ゆとりーとライン」に乗ってきました。

「ゆとりーとライン」とは、大曽根と守山区北部を結ぶガイドウェイバスです。ではガイドウェイバスとは何かと申しますと、新交通システムと路線バスのあいの子みたいなもので、東京の方なら「ゆりかもめ」、大阪の方なら「ニュートラム」、神戸の方なら「ポートライナー」、広島の方なら「アストラムライン」、小牧市東部の方なら「ピーチライナー」の車両が普通のバスだったと思っていただければ結構です。でもって、守山北部では普通のバスとなって走ります。このシステム、日本ではここが唯一のものです。

まずは起点の大曽根駅です。ここ大曽根から小幡緑地までは高架区間で、鉄道なのです(正確には軌道です。「ゆりかもめ」や「ニュートラム」と同じ扱いです)。でも、改札がありません。いや、あるにはあるのですが、降車側にしかないのです(運賃は後払い)。しかも、改札じゃなくて、バスの料金箱が備え付けられています。なんか変です。とても違和感があります。そして階段を上ると、行き先ごとに乗り場が分かれていて、お客さんが並んでいます。やってくるのはバス。どう考えてもバスターミナルなんですが、鉄道です。その証拠に、「軌道内立ち入り禁止」という警告板があったり(軌道内って、ただのコンクリートの地面だけど)、駅名標が建っていたり、1番線とか書いてあったりします。

で、バスに乗り込みます。時間になったので発車します。運転手はバスの運転手です(当たり前)。でもハンドル持ってません。ガイドウェイバスです、ガイドウェイに沿ってバスが曲がっていくのでハンドル操作しなくていいのです。手を離しているのに勝手にハンドルが切られているのは、なんだか妙です。でもここは鉄道です、鉄道ではレールに乗って動くのでハンドル操作なんかする必要がありません、アクセルとブレーキだけやっていればいいのです。そう考えると、当たり前ではあります。

小幡緑地からは普通の路線バスになります。妙な区間はおしまいです、が、ここから運賃が跳ね上がります。乗客数が伸び悩んでいるのも運賃が高いからのようです。これは、法律上小幡緑地までが「鉄道」、その先は「バス」で、管轄する法律が違うために、実際は通しで乗っていても運賃上は鉄道とバスを乗り継いだことになってしまうからです。どうして高架区間を「鉄道」ではなくバスの専用「道路」という扱いにしなかったのでしょう?できなかったのでしょうか?そうすれば、もっと自由に運賃を設定できたのに。でも高架区間も一直線というわけではなく、微妙に曲がってるんですよね。それに急カーブがあって、ガイドウェイなしで対向バスと接触せずに曲がれるか疑問だったりしますが。

ゆとりーとラインの終点・高蔵寺に到着。ここからはJRで戻ります。電車(今度は正真正銘の電車)の中では読書。私の場合、最も落ち着いて読書できる場所って電車の中なんですよね。でも教科書の類はダメです、机の上にノートを広げて、いろいろ書きながらやらないと理解できません。読みたくてもなかなか時間がなくて読めなかった本があったので、せっかく一日乗車券を持っていることだし、桜通線を全線一往復して(約1時間)読書に励んでみました。おかげで読み終わりました。あ〜、読書旅行にでも行こうかな。


2001年08月09日(木) [長年日記]

高校の友人が帰省しているというので、夕方からゲーセン行ったり飲んだりスタバ行ったりしてしゃべってました。のべ6時間。話は尽きないもんです。


2001年08月10日(金) [長年日記]

世間はお盆休み、らしいです。バイトに行ったらいつもより明らかに人が少なくて、日曜日と錯覚してしまうくらいでした。受験生にお盆休みはありません。たぶん。


2001年08月12日(日) [長年日記]

うぅ、何したか覚えてない(汗)。


2001年08月13日(月) [長年日記]

今日はバイトの飲み会だぁ。でも俺はバイトだぁ(泣)。うーるうる。


2001年08月14日(火) [長年日記]

今日は久しぶりに天気予報が「晴れ」と言い切ってくれました。院試まであと2週間ですが、最近の生活があまりに不健康なので、たまにはと思いツーリングに行ってきました。と言っても、起きたのは11時頃(これでもいつもより2時間早い)で徹夜敢行する気もないので(明日バイトだし)、片道2時間くらいで行ける近場に行ってきました。で、行ったのは鈴鹿スカイライン(R477)と石榑(いしぐれ)峠(R421)です。鈴鹿山脈を2度越えました。

食事をした後、R23で四日市へ。途中飛島インターから湾岸弥富インターまで伊勢湾岸道の下を走ったりしてみました。そして、湯の山温泉の案内に従って市街地をするする行くと、いつの間にかR477になってました。菰野町内で渋滞にはまったり、日差しが強くてやたらのどが渇いたりしましたが、2時過ぎにはスカイラインの入り口に到着。ロープウェイにも乗ろうと思いましたが、スカイラインの案内に従ってするすると行ってしまったので下から眺めることしかできませんでした。けれど峠からの四日市の眺望は素晴らしかったです。で、山を越えて滋賀県へ。メインルートじゃない方向へ国道が曲がっているので、そちらへ曲がります。どうやら温泉があるみたいで(かもしか温泉)、キャンプ場みたいになってるっぽかったので、家の手伝いをしているのであろう中学生と思われる女の子からかき氷を買いました。土山町から日野町へ、今度はR307を北に向かいます。当初は多賀まで北上してR306で山越えしようと思ったのですが、時刻がまだ4時台だったことと、ついつい案内に誘われて、R421石榑峠越えとなりました。

石榑峠は、その方面では有名なのですが、(国道のくせに)あまりに狭い区間があって、そこに大型車が入らないように手前にコンクリートのブロックを置いているのです。これを「いじわるブロック」と呼んでいたりします。ブロックの間隔はわずか2mで、大型車はもちろんRVでもひっかかるかもしれない幅です。もちろん二輪はスイスイスイ。それを見てみたいというのもありました。で走ってみると、しばらくは快走路なんですが、ちょくちょく「石榑峠三重県側、2t車以上通行止め」の案内看板と幅2mの標識が登場します。それでもやけに車が多いので、まさかこれみんな峠を越えるつもりか?と思っていたら、沿線にキャンプ場がたくさんあって、大にぎわいでした。そのキャンプ場を過ぎると、味わいのある区間。森林浴満喫、名水がわき出ているところもありました。すれ違いのできない区間が10kmほど続いて、峠に到着。ここまででも十分「酷道」なのだが、これまでの案内看板は「三重県側」という書き方をしてきたから、峠を越えたらさらに酷道になるのでは、と思っていたら、峠にいじわるブロック。その先は、すれ違い不可はもちろん待避所なし、ローギアに入れてエンジンブレーキ効かせないと恐ろしい急勾配、かつ荒れたコンクリート路面。そんな区間が1kmほど。いやぁ〜ここまですごいとは思いませんでした。これを体験してしまったら、この後なんてすれ違いできなさそうでも快適な道です。いやはや。宇賀渓キャンプ場を過ぎると道も良くなり、あとはR421を桑名まで完走して帰りました。

今回のツーリング、「日焼け面積を増やそう!」ということで、あえてノースリーブのTシャツを着ていきました。そしたら、真っ赤。ひりひりしてます。たった半日なのに・・・・・・。


2001年08月15日(水) [長年日記]

久しぶりに午前中に起きました(笑)。で、テレビをつけたら全国戦没者追悼式がやっていました。今日は終戦記念日です。


2001年08月16日(木) [長年日記]

FFXは順調に進んでいます、プレイ時間は52時間を超えました。もうそろそろエンディングだと思います。ネタバレするので詳しく書けないのが辛いところです。この52時間を勉強に振り向けたらどうだという説もありますが、FFやってる時間というのは元々部屋の掃除をしたりHPいじってたりしていた時間なので、勉強時間が減ってるわけではないのです。ってゆーかー、もともとの勉強時間が短いんですが。今日は雨宿りを兼ねてゲーセンでミスタードリラー2してるところをekonさんに見つかってしまいました。でも1764mの自己新記録が出たのでよしとしましょう。


2001年08月18日(土) [長年日記]

ハッピーバースデー、俺! 今日で22歳になってしまいました。あうぅ・・・・・・もう歳が増えても嬉しくないなぁ。まだ○○○も○○○もしてないのに、時間だけが過ぎていく・・・・・・。まぁとにかく、祝ってくれた一部の方ありがとうございました。人の誕生日なんてそうそう覚えてるもんじゃないっす。いくら事前にわぁわぁ騒いでいたとしても。な〜んてね。

それでは、バースデーに関わるお話でも。この夏からJAS(日本エアシステム)とJR四国が誕生日優待を始めました。私の誕生日は今日8月18日です、夏休み中です。はいそうです、休みのある時期に誕生日なんて、なんてラッキーなんでしょう♪

それぞれの割引を具体的に説明しましょう。JASは「バースデー割特」といって、誕生日以降(誕生日を含む)15日間の便について、3週間前までに予約すると全便10,000円になります。全便10,000円と言えばANA(全日空)の「超割」が有名ですが、こちらは誕生日の人のみ対象、つまり敵が少ないので、予約開始と同時に電話ラッシュで5分で完売なんてことはないはずです。ただ、超繁忙期となる8/1〜20の期間内に誕生日を迎える人(つまり俺)は対象期間が8/21〜9/4にずらされます。その意味では、他の期間より敵が多いですな。何にせよ、例えば名古屋〜新千歳は通常31,500円するわけで、10,000円というのは高いようでかなり魅力なんです。

次に、JR四国の「バースデイきっぷ」は四国内の特急が3日間乗り放題で9,800円。実は以前から「四国フリーきっぷ」というのがあって、こちらは特急3日間乗り放題で15,700円なのです。だから「誕生日だから安くしたんだな〜」くらいにしか思ってなかったのですが、一言見逃してました。「四国フリーきっぷ」で乗れるのは特急の自由席なのですが、「バースデイきっぷ」は特急のグリーン車。グリーン車が一日当たり3,267円という18きっぷに毛の生えたような価格で乗れるなんて!素晴らしいじゃないですか!!

ということで我が輩の誕生日にあわせて?登場してくれたこれらの割引ですが、いかんせん院試なんてものがあるので、そうそう出かけられません(泣)。院試がなかったらまず間違いなく高知や松山に行ってたでしょうね。院試が終わると割引の期間から外れてしまうので今年は使えそうにないです。では来年・・・・・・そもそも研究室に夏休みなんてあるのか?という点については、どうやら数日はあるらしいのでいいのですが、JASのHP見たら「2002年5月14日まで継続予定です。」だって。来年はないのですか・・・・・・うーるうる。

そういえば、22歳になったからスカイメイト(注)使えないんだ! がくー。これでますます飛行機が縁遠い乗り物になって・・・・・・。

(注)スカイメイト:当日空席がある場合に限り通常運賃の半額で乗れる割引制度。会社ごとに会員制になっている(年会費1,000円)。会員資格は21歳以下の若者であること。


2001年08月19日(日) [長年日記]

昨日・今日と、日本テレビ系列で24時間テレビが放送されています。「24時間テレビやる金があったらその分寄付すればいいじゃないか」という意見を持つ方もいますが、このようなイベントを打つことで人々にチャリティーへの関心(および企業イメージ)を高めているのです。何かに挑戦するきっかけと、それに対する感動を与えてくれるのです。感動はお金では買えません。感動は(お金を元に)人が(自分が)作り出すものです。以上より、私は24時間テレビを支持します。ただのお祭り好きって話もあるけれど。

名古屋のメイン会場は久屋大通公園なのですが、そのステージで午後3時から嘉門達夫のライブがあるというので行ってきました。この時点で動機が不純なんですが。まあライブと言っても、たった30分なんですけどね。本当はそのあと5時半からハウジングプラザ大府で同様にライブがあって、どうもこっちのほうが時間が長そうだったので、というより最初にライブの情報を聞いたのがそっちだったので大府に行きたかったのですが、5時からバイトです、30分だけでもライブが楽しめたので良しとしましょう。ライブの内容は、知ってるネタ(破龍(バリュー)セット、とか)から最新の(まだ聴いていないアルバムの)ネタまで、笑わせていただきました。

さて、せっかくメイン会場に来たのです。チャリティーに協力してきました。と言っても、募金したわけじゃなくて、中京テレビのブースに行って○○○○○を買ってきました。Tシャツはこの時間では売り切れてしまっていました。いつものことです。しかし、14年前(10周年の時)のTシャツが未だに在庫があるというのはどういうことだろう?確かこれも毎年売ってたはず・・・・・・。


2001年08月20日(月) [長年日記]

台風のおかげで一日外に出られません。軟禁状態です。

台風情報を見ていて、気になる点がいくつか。今回の台風は高潮に注意ということで、高潮発生のメカニズムなんかを各社解説しています。それはいいのですが、その中で「一年で最も水位が高くなる大潮の時期で・・・・・・」というくだりがありました。確かに今は新月になったばかりで潮の満ち引きが大きい時期なのですが、「大潮」と呼ばれるのは太陽と地球と月が一直線上に並ぶ時期、つまり新月の頃と満月の頃で、月に2回あるのです。「一年で最も水位が高くなる」というのは大げさではないか、と思うのです。もっとも地球と月の距離の関係もあるので、本当に一年で最も干満の差が激しいのかも知れませんが。

あとは交通情報。台風による交通機関の乱れは広範囲に及ぶので、鉄道とか船舶とか飛行機とか、運休・欠航情報の羅列になります。これがわかりにくい。どうして図を作らないのでしょう?松阪が松坂になってる誤字とか、急行「能登」が寝台特急扱いなのはまだいいとして、「急行「かすが」が名古屋から奈良の間で運転を取りやめ」というように、区間は全区間なのに部分運休のような扱いになるのが気持ち悪い。担当者の知識不足なんでしょう、逆か、一目で分かる方がおかしいのか。これも「全区間」とか「全線」という一言が入っていればいいんだけれど。思うに、東海道新幹線のような重要なものはともかく、名松線とか紀勢線とかのローカル線は、その地域の方が分かれば十分なわけで、「**と**を結ぶ〜」とか余計な説明を省いても構わない気がするのだけれど、どうでしょう?

それに、「夜行列車は計30本が運休」とか、「JALは〜をはじめ24便、ANAは・・・・・・」と運休・欠航になった本数で言われても、何の意味もないと思うのです。被害の大きさを伝えてるつもりなんでしょうが。「いくつ」より「何が」を伝えてもらわないと。


2001年08月22日(水) [長年日記]

台風一過。起きたのが昼、最も風雨が強かったのが朝6時ごろなので、本当に台風一過です。

午後から皮膚科に行ってきました。皮膚科なんて中学の時にじんましんを出して以来なので、およそ8年ぶりです。今回は、数カ所に原因不明のかぶれのような水泡ができているのです。原因不明ってところが恐いのですが。で、待合室で順番を待っていると、何と小学校の同級生と思われる女性が入ってきました。偶然。地元にいるとこんなことが時々あるんですね。ここで侍魂的には再会をきっかけに恋が芽生え・・・・・・なんてことになるのでしょうが、本当にそうなのか自信がなくて声かけられず。診察が終わって薬もらって出ていくときにその娘の名前が呼ばれたのですが、確かに同級生でした。

帰ってからはCATVで広島−中日戦を観戦。黒田に事実上ノーヒットノーランを喰らってしまいました(井端の足が速くて内野ゴロがヒットになっただけ)。がくー。


2001年08月23日(木) [長年日記]

FFXをクリアしました。プレイ時間だいたい58時間、それにラス前で何度か全滅しているので実際は60時間以上やってたでしょう。限界突破アビリティを取らずに、アルテマと召喚獣で倒したようなもんです。詳しく書くとネタばれになるので書けませんが、ラスボスはあっけなかったです。FFVIIIはアルティミシア城で1年くらい止まったままなので、これが初めてクリアしたRPGになります。さあ、これで試験勉強に集中できる・・・・・・と思いますが、どうなんでしょう。一応今までも勉強しつつ、嫌になったらFFやってたというサイクルだったので、5日前とはいえ、勉強時間が増えるとは思えないんですが(苦笑)。


2001年08月24日(金) [長年日記]

直前の1週間

FFXをクリアして、心置きなく勉強に専念できるかというと、そうでもないんです。以前日記にも書いたと思いますが、連続して長時間机に向かっていられない質なのです。それでも残りわずかだしバイトも免除してもらっていたので、以前よりは長い時間やってましたが、人の話を聞くと一日10時間とかやっていたようで、それに比べれば明らかに少なかったでしょう。

それより問題だった(問題視していた)のは、生活のリズムが大幅に後ろにずれていたことでした。バイトの終了時刻が深夜1時だというのもあり、就寝は午前3時とか4時とか、そして起きるのが12時過ぎは当たり前、ひどい時は午後3時なんてこともありました(朝までFFやってたからなんだけど)。試験は午前中からあるのでこれではまずいのですが、リズムを戻そうと早い時間(でも深夜1時)に布団に入っても、ちっとも寝付けないのです。結局いつもの時間にならないと眠れず、その結果起きるのもいつもの時間。仕方ないので強引に早い時間に起きて、このままでは勉強中に眠くなってしまうのでツーリングに出掛け、帰ってくる頃には疲れているからすぐ寝付けるだろうという作戦を敢行しました。これが試験4日前、この日は一応勉強道具を積んで行ったものの結局やらずじまいでした。


2001年08月27日(月) [長年日記]

院試前日

そんなこんなで前日になりました。院試前日には研究室で「開運」という日本酒を飲む恒例行事があり、久々に研究室に行きました。前日に、しかも昼間から酒を飲むとは、と思うでしょうが、単なる縁起かつぎなので口をつける程度でいいんです。でも私はグラス一杯頂いちゃいました(笑)。これでも、もっと飲みたいのを我慢したんです(爆)。で、「今更じたばたしてもしょうがないかぁ〜」なんて思ってしまったわけです。そう思っていいのは今までしっかりとやってきた人だけであって、私の場合はまだあれこれ確認したほうがいい項目があったのです。


2001年08月28日(火) [長年日記]

院試1日目

朝、ちゃんと8時に起きられました。昨日は(目覚ましをかけなかったとはいえ)起きたのが9時半だったのでちょっと心配だったのです。

まずは英語。英語の勉強は、今更どうなるものでもないやい、ということで、この1か月余りの間全くしていませんでした。そもそも私は英文和訳が嫌いで、英文を英文のまま理解しようとする人なんです。こいつがあるために京大行く気がなかったと言っても過言ではないくらいです。でも目の前に問題があって、これに200点の配点がある以上、解かなくてはなりません。ざーっと文章を読んで、わかる単語を元に日本語の文章を作って、答案用紙を埋めました。

午後は基礎分野の試験。ここでは1科目捨てられるので、当初は物理・有機・無機・分析を選択し、数学を捨てるつもりでいました。数学そのものは嫌いではないのですが、微積は苦手で、数学基礎III(微積・後期)が取れずに基礎V(複素関数)を取ったくらいなのです。また、テイラー展開やフーリエ変換なんかも理解せぬまま、単位落としたまま(特別履修を申請しようとしたら試験で50点以上ないと認めないことになっていて、私は45点だった)。ところが、いざ勉強を始めてみると、有機化学の反応がちっとも覚えられないのに対し(特に、この物質を合成するためには何をどういう条件にすればいいか、というような問題)、昨年の数学の問題は何も見ずに8割がた解けてしまったので、作戦変更、有機化学を捨て数学を取りにかかりました。そうすると今度は、まともに解けた数学の問題は去年のものだけで、一昨年以前の問題ではそうはいかず、有機化学を取った方がましではと思えるほど。有機は全くできない訳ではなく、反応以外のところではそれなりに取れるのです。結局、有機化学を取ることにし数学は解けたら取ることにしました。

で、(今年の)問題を見ると、数学は「テイラー展開やフーリエ変換を使いなさい」と指定されているではありませんか。この時点で有機選択決定。その有機は例年に比べ易しかった気がしました。他の科目はというと、物理化学は「この部分は教科書のあそこのページに載っている!」というのはわかっても肝心の答えが思い出せない大問が一つ、さよなら25点。分析化学は覚えているかいないのか微妙な所を突かれ、無機化学では基礎分野では出ないだろうと思って覚えてなかった結晶構造が出たりして、どの科目も出来は半分くらいかな、という程度しか解けませんでした。半分ではちょっと、というか、かなり心許ないです。ましてや英語のことを考えると、もっと取っておくべきだったと思いました。

でも、試験が半分終わって、明日もあるというのに腑抜け状態。ガイダンスも志望順位はすでにある程度は頭の中で決めてあったので、物3の募集停止(=解体?)という話に驚かされた他はたいした内容でなく、すっかりたれていました。

ということで、明日の勉強をしなくてはいけないのに、終わったあと速攻で大須へ行き、みんなのGOLF3を買ってしまい、その上一気に8ラウンドくらい回ってキャラを7人に増やしてセミプロ級にランクアップさせてしまいました。それからガチンコの鈴鹿8耐を見てしまい、気付いたら11時。明日は今日より開始時間が早いので、起きられるかどうか心配です。


2001年08月29日(水) [長年日記]

院試2日目

ガイダンスが昨日のうちに終わってしまったので、今日は専門分野の試験のみ。こちらは朝9時開始と昨日より1時間以上早いので、がんばって7時に起きました。昨日と同じようにミスドに朝食に行こうかと思ったが、ちょっとばかし二度寝してちょっとばかし時間が無くなったので、まあいいや、ということでカロリーメイトの出番になりました。

研究室に寄って、試験会場へ。まず、試験に先立って回収される講座希望用紙を記入。第1希望(松下研)・第2希望(正畠研)を書いた後は、てきとー。一応考えて書いてはいるけどね。正畠研は人気薄なので、成績悪くても第2でひっかかるから、第3希望以下は多分無意味だろう、と思ったのです。ちゃっちゃっと書き上げた後は、計測化学の記憶ものをチェック。

開始10分前くらいになると、「悪あがきはやめて机の上のものをしまいなさい」指令が下るので、おとなしく従う。そして問題用紙が配られる。表紙から1問目が透けて見える。実在気体の状態方程式の問題。よっしゃ、解ける!と心の中でガッツポーズ。

試験開始の合図、とともに、問題をひととおり見る。物理化学(問題番号1・2)は多分いけそう。有機化学(3・4)はさっぱりわからん。無機化学(5・6)は、5のほうなら何とか半分くらいは解けるかもしれない。他で解けなかったら考えよう。計測化学(7・8)は、簡単そう。昨年出たGCがまた出題されていたのはびっくり。GCは昨年出たから今年は出ないだろうと手を抜いたので、ここだけお手上げ。とりあえずGC以外の計測化学に手を着け、物理化学へ。反応速度論の問題は今までと毛色が違うものだったが、こういう問題の方が暗記ものや計算もの(=手法暗記もの)より考えられるので好き。暗記しなきゃ点が取れない問題は、「そんなの本見れば乗ってるやん」と思ってしまうので嫌いだし、苦手なのだ。

結果、当初の予定通り物理化学と計測化学を2問ずつ取って、おしまい。時間が1時間ほど余ってしまったので、ざっと見直しをしたあとは、心の中で「しゅ〜りょ〜」と叫び、一人で解放感に浸ったのち、寝ました。本当に寝ていました。

試験終了の合図で起きて、提出。終わりました!終わりました!その場でFFXを貸し、研究室に戻って、食事に行って、帰宅!みんGOLをひとしきりやったあと、医者へ行くため実家に帰りました。


2001年08月30日(木) [長年日記]

院試3日目

口頭試問、いわば面接は午後からなので、午前中は実家で朝寝坊して、社長出勤。口頭試問とは名ばかりで、実際は結果発表。どこの研究室に配属になったのか教えてくれるのです。(ちなみに、ちゃんとした合格発表も後日ちゃんとあります。)私の心情は、昨日の試験ができた(と自分では思っている)ので一応は楽観モードなのだが、おとといのことを考えるとどうだろう?って気分。さて、どう転ぶのだろう?と思いながら待ちました。

1時半に面接会場の説明がうちの助教授からあった後、面接の順番の早い(=受験番号の若い)人が面接会場の隣の控室へ。この面接会場、うちらが雑誌会とか勉強会で普段使っている会議室で、案内役はうちの助手。さらには面接時間が一人1分程度だというのでそれなりの時間に控室に行ったところ、まだ面接が始まったばかりで、助教授が「お前ら研究室で待っとってもええぞ」というので研究室で待機、緊張感が薄らいでました。それでももうすぐ結果が出るということで、みんなそれなりに緊張していて、それを紛らわそうとしてました。

そして、いよいよ面接の順番が回ってきました。まずは控室に入り、面接が終わった受験生(受験生じゃん!)が「次の方どうぞ」と声をかけるので、廊下に出て順番を待ちます。この時が緊張の最高潮で、かつ俺は研究室の仲間の中では最後なので、とても緊張。助手に「なに緊張しとるの」なんて言われたけど、自分でも大きく構えて緊張を克服するようにしてみたけど、やっぱり緊張するわい。で、前の人が出てきて、いよいよ俺の番。ドアをノックして部屋に入り、受験番号と氏名を告げて椅子に座る。そして言われたのは、「第1希望の松下研究室には、残念ながら不合格となりました。明日、物質制御工学の口頭試問を受けてください」。あー、そうですか。不合格ですか。はぁ〜。まぁ、しゃーないわなぁ。ただ、それをうちの教授を目の前にして言われるのは、痛いなぁ。

それからは、研究室に戻って、もう一人同じ運命になった仲間としゃべったり、助教授の裏話を聞いたり、以前同じ運命にあった先輩方の話を聞いたりしていました。それによると、今年の定員は少子化のために60人に減らしたが、受験者は予想より減って60人だったということ、それによって定員が基本的には各講座4人になったこと、(現在6人いる4年生のうち一人は就職、一人は別講座を第1希望にしていたので)無風区と思われたうちの研究室には、名大内から一人、そして名工大から一人やってくることになって、そのおかげで二人追い出されたこと、普通は他大学から受験するときはあらかじめ挨拶に来るものなのだが、その名工大から受けた人は「まさか受かるとは思わなかった」ということで挨拶には来なかったということ、希望順位の上から順番に見ていくので、途中に物質制御の講座があったらその時点で「向こうに行け」と言われてしまうこと、第2希望の面接は(人生相談が入るので)今やっている研究内容とか聞かれてかなり長いということ、などの情報を得ました。さあ、どうしようか。

夜、院試お疲れ飲み会がありました。でも、とても飲んでる気分にはなれませんでした。飲んでたけど。


2001年08月31日(金) [長年日記]

院試4日目

本来ならなかったはずの、第2希望・物質制御工学専攻の口頭試問。朝9時半からと結構早いので、起きられるかどうか(また)心配だったが、ちゃんと間に合いました。第2希望の口頭試問を受けるのは、対象全学科合わせて約30名。それっぽっち。しかも、講座の希望を改めて取ったあと、人によっては2度目の口頭試問を行う場合もあるから、その場合は上の講義室で待機していなさい、という指示なんか出ちゃったりする。実際、私の番は10数番目だったが、それまで1時間以上待ったのだ(講座の希望調整でごたごたしていたらしいが)。

おどおどして待っていたら、ようやく私の前の友人が呼ばれていった。あー次か、と思って、廊下の待合い椅子に移動すると、もう友人が出てきた。早いじゃん。で、私の番。中に入ると、物質制御の全教授が受験者を取り囲むように座っていて、かなりの威圧感。で、受験番号と名前を告げて椅子に座ると、「物質化学の松下研のほうは不合格になりましたが、第2希望・正畠研は合格です。がんばってください。」で、おしまい。次の人〜。案外あっさり終わったじゃないか。

というわけで、自分の番はあっさり終わって、正畠研に決定しました。時刻は午前11時。研究室に戻ると、教授から各人に対して院試の講評をするとのこと。それによると、案の定というか何というか、英語は全合格者中最低レベルだったらしい。1/3程度しか取れていなかったそうだ。あう。そりゃそうだろうなぁ。基礎分野も、手応え通り半分弱の出来、専門分野は上位陣と同じくらいの点を取っているそうで、こちらも手応え通り。英語はともかく基礎分野の不出来は明らかに勉強不足が原因なので、ここを英語の不出来を補えるぐらいの点を取っておかなければいけなかったかなぁ、と思ってはみるが、今更仕方ない。

結論。英語をなめてかかってはいけないよ。おしまい。このまま、飯食って、東北へ出かけました。

東北旅行・1日目

午後出発。名古屋から東海道線を鈍行で東へ向かいます。

名古屋を出た時点では、とりあえず東北へ行こうと思っていただけで、細かいことは何も決めていませんでした(そんな余裕があったら院試がんばっとるわい)。で、とりあえずムーンライトえちごの指定券を押さえようとしたものの、満席。それで、時刻表と電話を駆使して、なんとか仙台行きの夜行バスを押さえました。

大船で夕食。浜松町から夜行バスに乗り仙台へ。


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