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※意見には個人差があります。(c)さだまさし

※つっこみ機能は終了しました。


2003年06月01日(日) [長年日記]

久しぶりに、ツーリングへ行ってきました。

昨日から台風接近による雨が降っており、いくら昼には上がるとはいえ、体の疲れを考えたら見送るのが賢明だと思いました。でも今日を見送ると、来週は名大祭だし、再来週は中間発表会直前。3週先まで機会はありません。しかも、そのころは梅雨真っ只中です。

ということで、雨が上がり次第出発することにしました。

まず朝6時、目が覚めて外を見ると、雨が降っていました。なので、また布団に潜りました。

次に、朝8時。二度寝から覚めて外を見ると、雨は止んでいました。なので、出発です。

いつものツーリングでは夜明け頃に出発しているので、朝9時出発というのはかなり遅い部類に入ります。しかも常々考えていた「紀伊半島縦断」をやろうとしていたので、時間的に厳しいのは目に見えています。極力、走りに徹します。とりあえずは、昼食でラーメンを食べるために、天理へ向かいます。

名四国道、国一、名阪国道・・・は走れないので旧道を突っ走りました。しかし、台風一過で風がとても強く、また時折雨が降ってきます。なかなかペースが上がらず、天理に着けたのは2時少し前でした。150kmを休憩込みで5時間弱なら、本当は悪くないペースなのですけど。

天理では彩華ラーメンを食べました。1年ぶりです。

予定通り紀伊半島を縦断するとなれば、現在の行程はまだ1/4程度を消化したにすぎません。ところがすでに2時過ぎ、これでは名古屋に帰るのは夜明けになってしまいます。それは体力面できついので、紀伊半島縦断はまたの機会にすることにしました。

その代わり向かったのは、明日香村。前々から、どれくらい前かと言えば小学校時代から、「奈良に行って飛鳥に行かないのは片手落ちだ」と思っていました。それだけ、行ってみたい場所ではありました。

飛鳥にはいろいろな史跡がありますが、歴史には詳しくないので有名どころの石舞台へ行きました。

当たり前かもしれませんが、石舞台は古墳です。教科書に載っている大きな二つの石は、石室の天蓋に当たります。本来ならその上に封土(盛土)があって天蓋は見えなくなっているのですが、長い年月のうちに流されたのか、意図的にはがされたのか、封土はありません。

石室の中に入ることもできます。1300年も前にこんな空間を作ったとは。歴史の重みのようなものを感じました。そもそも、古墳というものをちゃんと見たのは初めてだと思います。

付近の公園も含めて1時間ほど散策した後、明日香を後にしました。温泉に入る時間を確保した上で、日が暮れる前に青山の峠は越えておきたいと思ったからです。

奈良県の道は大半が交通量の割に狭く、よく渋滞します。幹線道路にふさわしい道幅を持っているのは、名阪国道と西名阪、それに阪奈道路(と第二阪奈)くらいだと思います。紀伊半島縦断ルートも、大半は断崖絶壁にへばりつく狭路です。明日香から大宇陀へ抜ける県道を選んだのですが、杉林の中を抜ける狭路でした。

大宇陀の道の駅で、日本酒を(1,100円)を買うかどうか、どこの温泉へ行ってどのルートで帰るか、散々悩みました。あっちへ行こうとして、やっぱやめ、こっちへ行こう、でもこれはちょっと、云々。鬱のどん底で見られた優柔不断の症状を呈してきたので、これではいけない、行かなかったほうは後日行けばいい、えいやっ、と決めました。結局、日本酒は買いました。

決めたルートは、日が暮れても峠越えが安全にできることがわかっている、名張経由のR165です。そして、榛原で温泉に浸かりました。ああ、気持ちいい。幸せです。とっても。

所持金がピンチになったので名張で郵便局を探しましたが、日曜の夕暮れという時間では、すでにATMは稼働していませんでした。では銀行から、としたかったのですが、他行利用はできない時間帯でした。このあたりでは、まだコンビニで預金を下ろすことはできないようです。仕方ないのでがんがん飛ばして、津で預金を下ろしました。無事、稼働時間に間に合いました。

それから、R23をがんがん飛ばして、11時半には家に着きました。モナコGPの放送に間に合いました。行きの向かい風が、帰りには追い風になったのでしょう。かなりのペースでした。

走行距離、371.7km。久しぶりにしては、よく走ったと思います。400の大台に乗らなかったのは、ひとえに出発が遅かったせいでしょう。

久々なので、さすがに疲れました。お布団直行、おやすみなさい。

余談ですが、天気予報で用いられる奈良県南部の地名として「風屋」というのがありますが、これは十津川村の字名です。十津川村といっても広いんですけどね。奈良県の1/5の面積を占めてますから。


2003年06月02日(月) [長年日記]

中間発表会まであと2週間になりました。

研究は順調に進んでいます。一時はどうなることかと思いましたが、何とか議論ができるような結果が出せそうです。

もう、うつ病からの「全快宣言」もできるような気もします。でも、それはしないことにします。


2003年06月03日(火) [長年日記]

某大関と某タレント(同い年)の交際発覚、という記事で、某大関のコメント「彼女に好意を持っているのは事実ですが、現在の関係は仲のいい友達です」を信じてくれる人はどれくらいいるのだろう。


2003年06月06日(金) [長年日記]

近頃、何だか、やる気がありません。

11時過ぎまで研究室にいるのがざらだったのに、今週はとっとと帰って(といっても9時台)、家で酒飲んでたりします。まぁ今日はバイトですが。

疲れてるのかなぁ。いや、先週のほうがよっぽど疲れてたはず。

なんか、こう、ぷしゅう、と。ねぇ。

頑張り続けるのは無理ってことかなぁ。

明日は飲み会があります。


2003年06月07日(土) [長年日記]

名大祭です。理屈の上では水曜日からですけど。

今年は忙しいこともあり、若い連中に主導権を(とっくに)渡していることもあり、準備に全く介入しませんでした。手伝ってもあげ(られ)ませんでした。自分史上最も関わりの薄い名大祭となりました。

例年通り、土曜日はクイズ研のステージ企画「クイズ名大カップ」です。研究の進みによっては名大祭無視で研究室に閉じこもっていることになったかもしれませんが、何とか当日くらいはお手伝いできる時間が割けました。

名大カップは今年で第16回です。初めて目にしたのは第9回。これで、7年連続、何らかの関わりを持ったことになります。

集合時刻は8時45分とのことでしたが、そんな時間に起きられるわけもなく、いつも研究室に出勤しているような時刻になりました。人はこれを重役出勤と言います。

顔を見ただけで、み〜なさんに「疲れてますね」と言われました。あんたもや。

連中と戯れたり、パイシュー(多分これではない。これも関係ないと思う)を食ったり、4人で前説をやるなどと抜かしてみたり(ビラ配り要員がいなくなるので没)、某大先生にある告白をしてみたりしているうちに、ビラ配りをする時間になりました。

昨日に引き続き、ダウナー気味です。けど、周囲からはやる気があるように見えたと思います。この張り切り(というか割り切り)がどこから来るかはわかりません。

ビラ配りをしに、共通棟方面へ行きます。今年は明らかに人が少ないです。遊びに来ている人間より、実行委員や模擬店の呼び込みのほうが明らかに多い有様です。

学園祭には興味なくて、この時期を中休みととらえる人もいるでしょう。うちも、興味のない事柄なら、そうするでしょう。でも、人がせっかく汗水たらして準備しているのに、それを嘲笑われているようで、虚しさを感じます。

それにビラ配りは好きではありません。もらってくれない度に悲しくなります。だから営業(特に新規開拓)は嫌なんです。そういえば以前、ビラ配りのバイトは枚数単位の報酬だと聞きました。ゴミ箱直行でもいいから、もらってくれないことには仕事をしたことにならないそうです。その話を聞いてしばらくは、ビラはもらうようにしていたのですが、最近は面倒になって受け取らなくなりました。言っていることとやっていることが別ですね。はぁ。

ビラまきから戻って、まもなく本番スタートです。ちょっと烏龍茶を買いに模擬店に行ったら、かなり待たされました。自覚が足りなかったです。ごめんなさい。

模擬店で男が女装するのはよくある光景ですが、チャイナのスリットからトランクスがはみ出しているのは、やっぱり勘弁してもらいたいです。だからといって男がランジェリーを身につけるのは、もっと勘弁してもらいたいです。何を言ってるんだ。まぁ割と身近にチャイナが普段着と化している人がいますが、どっちかというと目のやり場に困ります。別に着てくるなと言ってる訳じゃないです。そっち系の人と思われたくないだけです。外見より中身、心だと思います。ただ外見は二の次だけど度外視してはいない、という点には留意してほしいです。何を言ってるのかわからなくなってきました。これも某大先生(先述と同一人物)のせいだと思います。

なるべく若いもんのやることに口を出さないようにはしていました。けど、雨はイレギュラーです。早押し機への対処は年寄り連中でしちゃいました。権太の自転車を借りて、雨に濡れながら生協までビニル袋(化学屋ならビニールでなくビニルと言いたいが、なかなかそうもいかない)を買いに行かされました。そういえば去年も似たようなことがあったような気がします。そんな記述がないか昨年の日記を探したのですが、ありませんでした。きっとデジャビュなのでしょう。

そういえば、領収書はどうしたか覚えていません。手元にないので誰かに渡したのでしょうが、代金105円をもらったか否かは記憶にありません。わからないので、もらっていないことにしておきます。そういうことで。

あとはいろいろ手伝ってました。ごめんなさい級のポカと、申し訳ない級のチョンボが何度かあったと思います。自覚が足りないからでしょう。けど自覚なんてものは人に押しつけられる物ではないと思います。

雨の次は早押し機のトラブルで、時間が押してしまいました。パネリストの引きが悪いせいもあると思いますが。7年見てきた中で最も疲れた回だったと思います。皆の衆、おつかれさま。

その後、月曜日の発表レジュメを作りに研究室に行きましたが、ちっとも手につかず、明日に回して帰ることにしました。

飲み会の時間になるまで家にいました。雨に濡れたので風呂に入って、その後ベッドに横になって、しばらく動けませんでした。本当なら早めに栄へ出て、牛丼の一杯でもかっ込んでおくつもりでしたが。

飲み会では馴染みの顔が並んでいました。でも、よく考えたらみんなOBでした。来年は自分もOBです。仮に卒業できなくても。

いろいろしゃべりました。常にお酒が手元にありました。よく飲んでました。飲み続けていました。

二次会でもよく飲んでいました。飲み続けていました。そして、Gさんに送っていただきました。

そのまま、眠りにつきました。でも、あまりよく眠れませんでした。未明に、吐きました。

翌日の夕方まで二日酔いに悩まされました。

後日。

二次会途中からの記憶がないことに、気づかされました。

ぞっとしました。

今まで、酒を飲んでも記憶を飛ばすことはなかったのに。へべれけになっても、記憶だけはあったのに。

そんなに飲んだのか。確かに、飲んでる。尋常でないほど飲んでいる。この日に限ったことじゃない、今週はどう考えても酒量が多い。何が自分をそうさせたのか。何かが欠落してしまったのではないか。

記憶がない間、自分は何をしでかしたのか。テレビか何かで聞いた、飲み会の後、気づいたら留置所、なんて話が頭をよぎる。

とにかく。迷惑をかけてしまった方、ごめんなさい。

自分が、怖いです。

とりあえず、中間発表が終わるまでは断酒します。


2003年06月08日(日) [長年日記]

一応、目が覚めたのは10時過ぎでした。しかし、起きられる気力も体力もなく、二度寝、三度寝、ベッドの上でごろごろ。ぐったり。

アタックで久々にとんでもない対戦を見たので、ちょっとは気力が回復しました。さすがに腹が減ったので、適当に何か作りました。もう覚えていません。

昨日後回しにしたレジュメ作りをしなければならないので、研究室へ向かいます。その途中で、ちょっと鉄研ブースを覗いていきました。何もできなくて、ごめんなさい。

やっぱりレジュメ作りははかどりません。でも昨日よりはましです。

夕方になったので、散髪に行きました。この時間しか予約できなかったので、仕方ないです。

髪質改善コースなんてのができたので、試しにお願いしました。いろいろ説明してくれたけど、詳しいことは忘れました。たぶんこれ。通称タワシとか針金とか言われていた髪が、笑っちゃうほど柔らかくなりました。乾いたらそれほどでもなくなりましたが、効果覿面なことには変わりないです。

気に入ったけど、お値段3,000円(税抜)。毎回やるには厳しいかもしれません。

その後、鉄研連中と夕食を共にし、恒例の第2回デザートにラーメン食べちゃうぞ会atいりなか「はまゐば」を行いました。評判いいだけあって、おいしいです。

それから、親に頼んで実家から夏布団を持ってきてもらいました。これでようやく羽毛布団とおさらばです。

結局、レジュメは完成しませんでした。危険な当日勝負。ああもう、どうなるんだろう。


2003年06月12日(木) [長年日記]

某電機、落っこち。

今日は計算待ちのために大した仕事をしていないのだが、家に帰るとそのままベッドへ倒れ込み、しばらく起きあがれず。こんなに疲れていたっけ、自分。


2003年06月13日(金) [長年日記]

発表前の、最後の平日。何とか形にはなって、若干の手直しが必要なものの、ほぼ完成というところまでこぎ着けた。10時過ぎに帰宅。

直前だというのに、この程度の頑張りで済んでいることは、特筆に値する。徹夜続きでもおかしくないと思う。

ただ、今そのような無理をすれば、身体か精神のどちらかが破綻を来すことは想像できる。前々から準備してきた甲斐があったというものだ。


2003年06月14日(土) [長年日記]

起きたら、昼。土休日のデフォルト。

雨が降る前に、洗濯。バイクで3分のコインランドリーで乾燥。

乾燥させている間、買い物へ。販売休止になった「エビス<黒>」を買いだめ。

店を出ると、雨が降っている。しかも、かなりの本降り。よって、雨宿り。

少し小降りになったところで、いったん帰る。当然、びしょぬれ。

それから、濡れない手段を持って、コインランドリーへ。

洗濯物を畳んだら、疲れてしまい、昼寝。

起きたら5時半。久々に天才クイズなどを見てみる。チーム紹介で「ゲッツ」をかましたのが8校中2校。小学生をバカ呼ばわりする九代目林家正蔵(2005年春より)

このままではいけない、と思って、ようやく動き出したのが6時半。

以降、深夜1時過ぎまで研究室で発表準備。ようやく完成。もっと早くからやればいいものを。

帰ったら、ル・マンを見ながら野暮用の片づけ。

そのまま、朝になる。


2003年06月15日(日) [長年日記]

発表準備は昨日で片を付けた。今日はフリーにする。

朝6時過ぎ。出かける。手元には、昨日買った近鉄の株主優待券が2枚。

7時11分発の松阪行き急行。車内で熟睡。目が覚めると、伊勢中川で停車中。慌てて下車。

次の大阪方面行き急行まで40分待ち。待つか、特急(それも京都行き)に乗るか。優柔不断な迷いの結果、特急に乗ってしまう。八木の連絡線を楽しむために、大和西大寺まで買ってしまう。1260円。かなりの出費だと思う。

特急ではあまり寝られず。連絡線は意外と長かった。

大和西大寺で乗り換え、奈良へ。地図を見ていて思うのだが、平城宮跡の真ん中を堂々と近鉄の線路が貫いているけど、いいのだろうか。

奈良の市街地は久しぶり。寺社仏閣には目もくれず、JR奈良駅へ徒歩移動。途中で文庫本と飲み物を仕入れる。

本日の目的その1、読書を兼ねた桜井線と和歌山線の乗りつぶし。和歌山まで3時間、ロングシートに陣取って読書の開始。松永真理「なぜ仕事するの?」

高田で乗客が一気に減った。和歌山線にスイッチバックがあるとは知らなかった(北宇智駅)。橋本で10分停まってくれたのは嬉しかった。トイレ休憩と、昼食の仕入れ。

紀州路快速で大阪・弁天町へ。地下鉄中央線に乗り換え、大阪港へ。地下鉄と言っても、この付近は地上を走る。

せっかくなので天保山に登る。初めは間違ってもっと標高の高いところに登ってしまう。天保山の標高は4.53mで、二等三角点がある。

さらに地下鉄に乗り、ニュートラムに乗り換えて、咲洲(さきしま)のワールドトレードセンター(WTC)へ。

咲洲・舞洲(まいしま)は大阪港の埋め立て地。東京で言えばお台場に相当するが、それなりに商業施設があるお台場に対し、こちらは空き地と公共施設のみ。2008年オリンピック誘致は土地の活用を目論んだもの。

本日の目的その2、大阪・放送ライブラリー

横浜より遙かに規模が小さく、5ブースしかない。恒久施設でなく、通路の一角をパーティションで区切ったようなものだ。

選んだのは「天才クイズ1000回記念親子大会」(昭和61年9月放送)。親子大会なのでルールが若干異なるとはいえ、私の知っている天才クイズがそこにあった。あぁ、懐かしい。ちなみに、天才クイズは昨日で1865回。

ニュートラムをきっちり全線乗って、住之江公園経由で難波へ。ラーメン食べて、たこ焼き食べて、JR難波駅(私の中では今でも湊町駅)へ。

快速で高田へ。これで桜井線も全線走破。奈良行きに連絡していたので、桜井まで乗る。

近鉄の中川方面行き列車まで、およそ30分待ち。駅前のブックオフで暇つぶし。

ここで、テトリスを買ってしまう。14年前のソフトなのに、1,450円。

帰りの電車もひたすら読書。村上春樹「スプートニクの恋人」。

11時過ぎに帰宅する。野球中継延長のため、ル・マンの放送に間に合う。結局、ベントレーが完全優勝。唯一のワークスチームだから当然の結果といえなくもないが、“当然の結果”を出すのは並大抵のことではない。


2003年06月16日(月) [長年日記]

中間発表会

これは研究室内の中間発表なんかでなく、専攻全体で行われ、成績に加味される、重要な発表会。発表形式はポスター。学会と同じようなもの。

ポスター発表とは、パネルに研究内容や結果を載せた紙(ポスター)を貼り、見に来てくださった方に対して、その都度説明するというもの。ポスターは、小中学校の自由研究をまとめた模造紙を想像していただければ結構。もしくは、スライドやOHPを印刷したもの。

開始2時間前に「これを付け足せ」と指示されて慌てるも、無事間に合う。

始まるまでは不安でたまらなかったが、いざ始まってみると何とかなるものである。ただ、自分の知識および理解不足を痛感する。

とにもかくにも、何とか終わった。

終了後、成績発表・表彰および打ち上げ。自動的に、酒、解禁。1時間あまりで缶チューハイを3,4本空ける。

信じられないほど酔う。からむ。野次る。たかだかその程度の量で。

7時過ぎに家へ帰り、そのまま就寝。起きると翌朝。それだけ疲れていたということか。

後日談

4年生に「やばかったっすよ」などと言われる。記憶はあるが、歯止めはない。

講師から発表の成績があまりよくないことを知らされる。発表できるかすら怪しかったものをここまで持ってきた自分を褒めたいが、全体から見れば、まだまだ下の方。


2003年06月17日(火) [長年日記]

今日、午後からメンタルヘルス講演会(名称はうろ覚え)があったのだが、忙しくて結局行けなかった。

最近思うこと。

  • ここの文章が「ですます調」な時と「である調」な時の心理状態を比較してみたい。
  • 「村上姓の有名人」で最初に思いついたのが、村上ショージでなく村上雅則だったのは自分でも意外。あとは村上春樹、村上龍。
  • カレードリアに大盛りがほしい。
  • 「ゲッツ」が流行って「らっしゃい」が流行らないのはなぜか。

2003年06月18日(水) [長年日記]

TAの仕事が始まる。レポートの採点。こんなこと書いてはいけないかもしれないけど、正直、うざい。

顔を知っている相手なら愛情の一つも湧こうってもんだが、名前も知らない相手では面倒にしかならない。

しかも出来が悪いとなると、採点しているうちに腹が立ってくる。

何かにつけて現実逃避。気がついたら、いつの間にかネットの世界。

結局、たかだか25人分のレポートを見るのに、丸一日を費やす。

これを月曜夕方に受け取って、徹夜で採点し、火曜2限の授業に返却する講師には頭が下がる。

F1(ビデオ)見ながらビール飲みつつ、バタピー250g(1480kcal)を一気に食べてしまい自己嫌悪。


2003年06月19日(木) [長年日記]

場の空気。流れ。甘え。依存。悪のり。中毒。逃げ。言い訳。自己弁護。卑怯者。

誤解。曲解。揚げ足取り。批判。毒舌。辛辣。軽蔑。侮辱。バッシング。愛想を尽かす。

被害妄想。事実。責任放棄。最後通告。

強制排除。隔離。

こんなことを書いて公開している俺の神経を疑う。


2003年06月20日(金) [長年日記]

中間発表も終わったので、就職活動を再開します。

12日(木)に書いたとおり某電機は一次で蹴られてしまったので、9月まで選考を行っているらしい某電工を受けることにしました。ところが、電話で問い合わせたところ9月の選考は海外の大学からの人を主に対象にしており、国内からについてはすでに終了したとのこと。

なんかもう、「行きたいところを受ける」のではなく、「行けるところを受ける」になってます。

幸い(?)某電工の子会社がまだ採用試験を行っていたので、そちらを受けることにしました。そのために、6月後半にして初めて、推薦状を取りました。ありえへん。推薦状の発行(=本格的な就職活動)は2月から始まっているのに。

化学系では、就職活動の最盛期は2〜4月です。そんな大事な時期に、いや、大事な時期だったからこそ、鬱の真っ只中でした。

まぁ、その状況に追い込まれないとわからなかった自分が原因なので、自業自得です。今更どうのこうの言っても、事態が変わる訳じゃありません。

いっそ、もう今年度は諦めて、来年仕切り直しをしよう、と思ったりします。そのほうが、納得のいく活動ができるような気がします。

そのためには、卒業しない、という選択肢を選ばなければなりません。多くの企業が採用を新卒者に限っているからです。どうして新卒に限るのか、理由がわかりません。新卒と既卒の何が違うというのでしょう。

新卒限定という条件の他に年齢制限もあって、院卒の場合は「1977年4月2日以降に生まれた者」としている企業が多いです。つまり、2年までは回り道していても問題ない、ということです。でも、卒業してから回り道したっていいと思います。

と、世の不条理に物を申したところで、会社の採用条件に従うほかないんです。

今は公務員試験のシーズンです。あさって22日には地方上級(愛知県や名古屋市など)の、29日には国家II種の一次試験があるそうです。

“あるそうです”なんて言ってるところからもわかるとおり、私は公務員試験は受けません。理由は、新卒と既卒の区別がされないから、です。

民間へは今しか行けないけれど、公務員は外へ出てからでも受けられる。だから、最後のカードとして取っておきたいのです。

それで。

自分は結局のところ、何をしたいのか。

・・・・・・わかんないです。

ごめんなさい。いろいろ心配かけて、助けてもらって、この結論で。

ただ、鬱どん底の頃は、現状から逃げることばかり考えてました。研究職ではやっていけない、と思ってました。でも今は、研究の楽しさを見つけました。博士課程に進む気はないけれど、少なくとも、この分野でそれなりにやっていけるんじゃないか、と思うようになりました。

将来の夢があって、夢に向かって進んでいる人を、うらやましく思います。漠然とした夢を目標に変え、具体的に叶えていくためには、かなりのエネルギーを必要とするでしょう。けど、それだけのエネルギーを出せるだけの、挫けそうなときに前を向いていられる、“心の支え”があるのだろうと思います。推測ですが。

私の場合、ここまで、厳密には大学に入るまでは、その場その場で自分の興味の赴くままに進路を決めていました。化学が好きで、それなりに成績も良かったから(それにボーダーも低かったから)、化学系の学科を選んだわけで。もっとも大学院に進んだのは惰性で、将来のことなんか何も考えちゃいませんでした。それが今になって、こういった形で、ツケとして回ってきているのだと思ってます。

この先何十年の時間のうち約1/3、場合によっては半分以上の時間を占める「仕事」だから、大切に選びたいです。

つけたし。(6/24)

たぶん就職活動は終盤なんでしょう。古巣の研究室の面々は、全員決まったそうです。サークルの同期の面々も、何人かは決まったそうです。まだ誰も決まっていないのは、うちの研究室だけらしいです。

今も特に志望はありません。エントリーシートの「志望動機」の欄で頭を悩ませます。

ただ、せっかく今までこれだけの研究(+いろいろ)をしてきたのだから、それを捨てるのはもったいないのではないか、ということで、今の専攻に近い企業を選んで、就職活動しています。数ヶ月前は「捨ててもいい」と思っていたけれど。

上に書いたことと矛盾している気がします。

自分の場合、今後数十年の長期計画を立てたとしても、どうせどこかで予定変更しちゃうのです。高々数日の旅行計画ですら、旅行中に変わってしまうのですから。

だから、その時々で、やりたいことをやれば、ええんちゃうかなぁ、と思ってきました。


2003年06月21日(土) [長年日記]

某氏によれば、ここしばらく時折鬱が現れるのは「回復期の波」だそうです。

幸い、というか、生憎、というか、鬱が現れるのは週末が多いです。周期は2週間、ただしその中央にも小さな谷があるので、1週間とも言えるでしょう。

つまり、休日には大抵鬱になってる、ってことです。たまたまなのか、月曜にあるセミナーのせいなのか、それとも休日には思いを巡らす時間があるためか。

おかげで気分転換にも行けやしない。温泉で癒されたーい。


2003年06月22日(日) [長年日記]

かつて、探偵!ナイトスクープで「全国アホバカ分布図」を作ったことがありました。その成果は「全国アホ・バカ分布考」という本にまとめられ(文庫本になっているとは知らなんだ)、柳田國男の「方言周圏論」を裏付ける成果が得られました。

今でこそ関東で「アホ」と言っても通用しますが、関西に於いては、「アホ」は軽いツッコミだったり親しみを込めたりする極日常的な言葉だと思います。それを、関西人が敢えて「バカ」と言うと侮蔑の意味が込められ、相手をとても傷つけるような気がします。

ただ私は生まれも育ちも三河國な自称エセ外様関西人なので、本当かどうかはネイティヴに確かめてもらわないとわかりません。

さて、「バカ」という言葉には、「頭が悪い」「愚か」という意味の他に、「とても」を意味する接頭語(例えば「バカウケ」「ばかうま」「バカ正直」。遠州の方言らしい)、それから「とことんやる人」という意味があり(例えば「野球バカ」「釣りバカ」「どうでしょうバカ」とか)、おそらくこちらの意味では全国で用いられていると思います。

長い前置きはこれまで。私とハムたろを氏の2人の「どうでしょうバカ」が、鶴舞にある喫茶店「カフェレスト・ラディッシュ」へ行きました。ここ、ディレクターの実家なのです。名古屋に住むバカが、名古屋にある“聖地”に行かないわけにはいくまい。

ということで、モーニングを狙って午前9時に鶴舞駅集合。徒歩数分で店の前へ。しかし、今日は日曜日。本日休業。うーるうる。

仕方ないので鶴舞駅構内のパン屋さん(イートイン可能)で朝食を摂り、ハムたろを氏と解散しました。また、リベンジします。

その後、鶴舞中央図書館に寄りました。開館直前だったので、読書室の席取りのための長い行列ができていました。

図書館では、教科書の展示会が行われていました(7月5日(土)まで)。こういうのには非常に興味を覚えます。

最初に手にしたのはもちろん地理の教科書ですが、次に手にしたのは現代文でした。高校時代は現代文は思いっきり睡眠の時間だったのに。このあたり、「自分が変わったな」という気がします。

いくつかの出版社の本を手にとって、目次を眺めてみました。中島敦の「山月記」と宮沢賢治の「永訣の朝」が多くの社で採用されていました。お上から推薦リストなどという物が出ていたりするのでしょうか。

一応専門なので、物理や化学の教科書もめくっておきました。いつの間に科目名が「○○IB」から「○○I」に変わったのでしょう。

その他、滅多に見ることができないであろう「総合理科」「地学」「工芸」「書道」や、商業高校や工業高校向けの教科書も展示してありました。これだけあれば問題が山のように作れそうです。

そこまではよかった。また、鬱モードになってきてしまいました。

図書館の目の前から発車する市バス「高速1系統」に、ふらふらと乗ってしまいます。前々から気になっていたバスではありますが、さながら意志を持った夢遊病状態。もちろん、ただ一往復しただけで帰ってきました。

それから、割といきつけのラーメン屋に行ったのですが、店に入るなり店主に「疲れてますね」と声かけられてしまいました。歩き方がそう見えたそうです。

疲れたので、帰って、布団にくるまっていました。薄手の掛け布団になった今は、抱き枕が必須アイテムと化している気がします。そのまま、いつの間にか眠っていました。

実家に帰りました。やっぱり落ち着きますが、気に障ることもいくつか。就職活動の現状を話したら、「院卒でも難しいのか」と残念がっていました。やっぱり、鬱のことは、話せないです。


2003年06月23日(月) [長年日記]

複数の友人に背中を押され、精神病院へ行ってきました。

精神病院と言っても、大学の保健管理室ですけどね。健康診断以外で訪れるのは、初めてです。

入口にある医師の担当表を眺めてみました。健康相談には一般相談と精神相談があり、前者は医師が常に一人だけ(しかもたまに休診あり)なのに対し、後者は2〜3人の医師が常駐しているとのことでした。

それから受付で精神相談について伺ってみました。案の定予約制で、今予約しても受診は一ヶ月以上先になるとのことでした。それだけ心を病んでいる人が多い、ということでしょうか。

でも、今日は(仏滅にもかかわらず)運のいいことにキャンセルが出ていたので、1時間ほど待って診察を受けることができました。

精神相談用の診察室・待合室は、ずいぶんきれいな空間でした。少なくとも、健康診断でお目にかかる部屋では、こんなきれいな空間はありません。

飛び入りの診察で、初診です。「どうしました?」と訊かれて困ってしまいますが、話さないと来た意味がないので、話します。

案の定、「うつ病ですね」と診断されました。晴れて、医師お墨付きのうつ病患者になりました。

にしても、聴診器を使うわけでもなく、脳波を調べるわけでもなく、主観的な患者の話(それも高々数分の)だけから診断するのは、どうなんだろう、と思ったりしました。理系人間ですね。

「来週の同じ時間に、また来てください」との言葉と共に、ルボックスという薬をもらいました。鬱を治すには、やっぱり薬物が手っ取り早くて確かなのかなぁ。

薬の注意事項として、「すぐに効くわけではなく、効き目が現れるのは2〜3日後、遅い人で一週間後」「調子がいいからと言って勝手に薬を飲むのをやめないこと」が挙げられました。完治するには数ヶ月かかるそうです。長い道のりだなぁ(溜息)。

アルコールについて聞き忘れたので調べてみると、「副作用が出やすくなるので、なるべく控えましょう」とのこと。ぐすん。でも“なるべく”だから多少は飲んでもいいのかな・・・・・・なんて考えを持ってはいけないか。

今日はゆっくり休むことにして、下宿でお昼寝。ぼーっとするのも、いいじゃないか。

なお、今日6月23日は、このHPの5歳の誕生日。そして、同じ日に50000カウントを迎えました。ありがとうございました。


2003年06月24日(火) [長年日記]

重要な鉄ネタを2本。

その1。地下鉄名城線・砂田橋〜名古屋大学の開通は、今年12月13日(土)に決定しました。やっと、開通します。

その2。臨時大垣夜行は、今夏から全車指定席の「ムーンライトながら91号(大垣行き)・92号(東京行き)」となります。本来の「ムーンライトながら」と違って熱海や小田原で自由席になったりしないので、指定券を取る時は終点まで取りましょう。実は本来の「ながら」より、こっちのが1両多い(10両編成)分だけ席数が多いのです。運転日は、大垣行きが品川発7月19日(土)〜8月23日(土)、東京行きが大垣発7月20日(日)〜8月24日(日)です。


2003年06月25日(水) [長年日記]

薬を飲み始めて2日。今のところ効き目なし。むしろ、先週より鬱になってる。谷のまま、山が来ず。

「忍たま乱太郎」の主題歌って、うつ病患者にはずいぶん酷だ。

「がんばれ」って言葉にずいぶん敏感になってる。応援はしてる。自分は、いいや。

そういえば、今年は厄年。


2003年06月27日(金) [長年日記]

最近思ったこと(鬱以外)。

追記。NMRの記事、本体にでかでかと920って書いてあることに気づかなかった(汗)。疲れてるかなぁ・・・。さんくす>Ceres殿


2003年06月28日(土) [長年日記]

サークルへ行く。楽しませてもらったけど、どっと疲れた。企画のせいじゃなく、自分の体力がないせいで。

おまけ。「世界ふしぎ発見!」を見る。最近一押しのミステリーハンター、坂本三佳さん。


2003年06月30日(月) [長年日記]

精神相談、2回目の診療です。

昨日、今日と起きたときの精神状態が割といいのは、薬が効いてきた証拠だそうです。お茶で飲んだら効かなくなるのかも、と思ったりしましたが、そんなことないそうです。

別にアルコールは飲んでもかまわないみたいです。でも、飲まないに越したことはないので、控えようと思います。また止まらなくなるかもしれないので。

時々、布団に潜って1時間たっても寝付けないことがある旨を話すと、「じゃあ睡眠薬を処方しましょう」ということになり、ハルシオンという薬を10錠もらいました。即効性で効き目が持続しないので、眠れないときに飲んでください、とのことです。

10錠一気に飲んだら死ねるかな、と思いましたが、調べた限りでは、死ぬようなことはなさそうです。自殺するつもりもないし。ただ依存性がそこそこ強いようなので、なるべく飲まないようにしたいと思っています。

それから、しばらく大学を休んだ方がいい、と勧められました。レポートの採点もあるし、なかなか休めない事情を話すと、「無理をしてがんばっていると回復が遅くなるから、すぐにしなくてもいいことはなるべく先延ばしにして、今はがんばらないように」と。先日も某氏から言われたっけ。けどなぁ・・・・・・。

今日はあまりに体がだるいので、セミナーが中止になったのをいいことに6時に研究室から逃走。部屋に帰って、そのままベッドへ倒れました。そのまま1時間ほど眠ってしまったようです。飯を作る気力もなく、どこかへ食べに出かける気力もなく、そのままごろごろ。さっき眠ってしまったので眠れなくなってしまい、早速睡眠薬のお世話になりました。

翌朝。確かに眠ったはずなのですが、「眠った」という気がしません。気づいたら朝になっていた、という感じ。そういえば薬の副作用に「一時的な健忘」というのがあったっけ。

後日談。某氏に「死ねるような量の薬は処方しません」とツッコまれてしまいました。そりゃそうだ。


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