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2023|03|
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※意見には個人差があります。(c)さだまさし
※つっこみ機能は終了しました。
2000年03月01日(水) さよなら食堂車&九州全域めぐり 1日目 [長年日記]
■ プロローグ
今日から鉄研の仲間と九州へ旅行に行く。主目的は実は九州ではなく、3月10日を最後に姿を消す新幹線の食堂車とクモハ42である。そのついでに九州、特にまだ行っていない南九州と長崎地区を観光し、3月11日デビューの新型「白いかもめ」試乗会に参加しつつ、「チャレンジ九州2000km」というフォトラリーをしようという魂胆である。
■ まずは大阪
新幹線の食堂車は上りが朝方、下りが夕方という(我々には)使いにくいダイヤで、今日は夕方6時頃新大阪に集合、ということにしている。だから午後から出かけても悠々間に合うのだが、なるべく大阪で時間を過ごしたい俺は始発で大阪へ。
大阪では、NGKで新喜劇を観劇。前回(昨年8月)は新喜劇よりその前の落語や漫才が面白かったが、今回は新喜劇が面白かった。生「イ〜」「壁激突」「チーン」「熊」「アンパンチ」が見られた。
■ グランドひかり・食堂車
午後6時、新大阪から新幹線の食堂車へ。思ったほど混んでおらず、福山まで居座る。メニューは1割引で、和風ハンバーグとビーフシチューは昭和50年の開業当時の価格ということだったが、それでも1,000円と1,300円で、高い。食堂車衰退の理由は、テレビではスピードアップとかが理由とか言っていたが、それよりコスト高と、それから来る価格の高さが原因だろう。新大阪での夜景はキレイだったが、その後は夜なので車窓は楽しめず。
■ ウエストひかり
福山では30分程度待ったあと、同じく3月10日を最後に姿を消す0系「ウエストひかり」に乗車。ビュフェでカレーライスを食べる。高いが食堂車ほどではない、が、それなりの味。
小郡で降り、宇部新川の宿へ。
2000年03月02日(木) さよなら食堂車&九州全域めぐり 2日目 [長年日記]
■ クモハ42
宇部新川から、始発列車のクモハ42に乗る。前に乗ったときから2か月もたってない。今回もやはり鉄がいる。長門本山で1本見送って、次の列車に乗る。雀田で小野田行きに乗り換える。松村君がクモハ42にカメラを忘れる。小野田から山陽本線で下関へ。
■ 初めてのブルトレ
下関では朝食として、駅弁「ふくめし」を購入。季節限定商品で、その名の通り、ふぐが入っている。前回(1月)は朝早すぎたし下関を素通りしたため買えなかったので、念願の購入。そして、下関から熊本まで、みんなと別れて寝台特急「はやぶさ」に乗る。ブルトレ初体験(でもヒルネ)。
下関と門司で機関車の付け替えを観察・撮影し、車内の観察。まずは「はやぶさ」。1号車は若者のグループ客がいてにぎやかだったが、2号車以降は静かなもので、客はいくつかの寝台の下段に一人、てな具合。1両当たり乗客は数人といった感じで、中には乗客ゼロの車両もあった。客が減っているとは聞いていたが、いやはや。続いて「さくら」編成へ。両数が少ないせいか「はやぶさ」ほど閑散とはしていなかったが、それでも淋しい。
一通り車内観察を終えた後、ロビーカーで先程買った「ふくめし」を賞味する。んまーい。ロビーカーは窓も大きく開放的で、多少くたびれてはいるが雰囲気も良く、くつろげる。これは寝台列車ならではの空間ではなかろうか。禁煙だったらもっとよい。
そして、誰もいなかった4号車で、本当の昼寝。でも、カーテンを閉めて暗くしたら暑くて、かといってカーテンを開けると眩しくて、結局寝られませんでした。
■ 豊肥本線
ようやく熊本着。かつてはこの先西鹿児島まで走っていたのだから、いかに「はやぶさ」が長すぎたかがわかる。昼食を仕入れて、豊肥本線に乗り換え。815系初乗車。JR九州らしい、なかなかいい感じの車両だ。肥後大津で宮地行きのキハ200に乗り換え。キハ200には一度だけ乗ったことがあるが、わずか3分間だけだったので、実質今回が初乗車。阿蘇の山肌をぐんぐん登っていく。阿蘇で下車して、チャレンジ九州2000kmの記念すべき初撮影。このために三脚を買ったんだから。安物だけど。
阿蘇からは特急「あそ」で大分へ。意外と長く感じた。大分は、以前来たときは素通りしてしまったので、町並みを見るついでに郵便局へ行こう(どっちがついでだ、という説もありますが)と決めていた。が、郵便局、けっこう遠い。時間ぎりぎりになりそう。そして、郵便局に着替えの入ったバッグを忘れる。さよなら久大本線、さよなら「ゆふいんの森」。しょうがないので「ソニック」で博多へ戻る。
■ 博多の夜
博多でみんなと合流、ラーメンを食べるために中洲へ繰り出す。が、基礎知識不足と俺の勘違いのせいで、客引きに声をかけられまくった揚げ句、キャナルシティの一蘭で夕食。中洲本店の一蘭をみんなが「怪しい」って言うんだもん。替え玉システムは俺は当たり前のように思っていたのだが。
キャナルから博多駅まで100円バスに乗ってみる。それでも「ドリームつばめ」まで2時間以上あるので、駅前のブックオフで立ち読み。「HOW TO クイズ」という古い本を見付ける。それでもなお時間があるので、斉木と松村君が泊まるホテルのロビーでしゃべる。「ドリームつばめ」は、通勤客がいるものの、自由席でもそれなりに空いていた。
2000年03月03日(金) さよなら食堂車&九州全域めぐり 3日目 [長年日記]
■ 指宿枕崎線
ドリームつばめでは時々目が醒めた。アナウンスは伊集院までないものの、あまり減光しない。熊本まで来ればガラガラなので、シートをボックスにして寝る。伊集院が近付くにつれ寝過ごさないよう警戒したので、無事に下車できた。伊集院から10分の待ち合わせで枕崎行きのバス(鹿児島交通)に乗る。枕崎駅は、バスの待合室が鉄道のそれを兼ねている、といった感じで、駅員などおらず、ホームには出入り自由。そのホームもくずれかかっている。
枕崎7時45分発の快速なのはな2号に乗る。「なのはな」といっても車両はキハ58&28である。ドリームつばめで熟睡できなかったのでうとうとする。開聞岳は頂上付近が雲に隠れて見えない。今日の鹿児島の天気は曇のち雨である。
■ 鹿児島にて
西鹿児島に到着。火山灰の洗礼を受ける。ちょっと歩いただけでバッグには白い斑点がぽつぽつできる。通りすがりに聞いた話では今日はかなり多いみたいだが、鹿児島の方々はいつもこんな環境で生活しているのですね。
とりあえず市電に乗って繁華街の天文館へ。偶然見つけたタイトーステーション。淡い期待を持ちつつ入ったら、ありました、「電車でGO!3通勤編」。早速プレイしたのは言うまでもない。初めにやったのは九州にいるということで「鹿児島本線811系普通(中級)」。いろいろいじってたら夜でプレイする羽目になった。途中追い詰められながらもこらえたが、終点・博多まであと1000mというところでトビ。まあワンコインでこれだけできれば上等でしょう。次に「中央本線快速201系(上級)」。神田駅でホームの客に注視してブレーキに失敗しなければクリアできた。採点は以前のような100点満点でなくkm単位でインターネットランキングをやるということだから、いっちょ挑戦してみるか。
その後「くろいわ」でラーメンを食べる。雨が降りだす。桜島を見に桟橋(鹿児島駅)へ行くが、雲に隠れて姿は拝めず。
■ つばめ
西鹿児島駅から「つばめ号」に乗って熊本へ。意外と遠いこの区間。「つばめに乗ったからにはビュッフェに行かなくちゃ」ということでビュッフェに行き、何も買わないわけにはいかないので得体の知れない紫芋ジュースなるものを注文してみる。出てきたのは・・・・・・見たことあるデザイン、俺がCBCラジオまつりの戸井汁屋で買って11月の企画の賞品にした宮崎県農協製造の「これ、おいも!?」だった。こんなところで出会うとは。飲んでみる。まぁまずいとは言わんけど、無理してジュースにしなくてもええんちゃう?という代物。こんなのを賞品にしてたのですね。応対してくれたおねえさんはとてもフレンドリーで、たいへん良かったです。
■ 三角へ
熊本からは三角線で三角へ。高校生たくさん。福岡でもそうだったけど、こちらの高校生は清純派です。ルーズソックスとかガングロギャルとかいません。たいへんいい土地です。れなぽんも(後略)
三角からは駅の目の前にある港からフェリーに乗り、島原へ行く。本数こそ少ないものの島の間を縫っていくので景色が良く、また雲仙岳を一望できるので、穴場です。しかし天気が悪かったので、山には雲がかかっていて中腹までしか見られませんでした。残念。
■ 島原から
島原外港に到着。ここから島原鉄道の駅までは徒歩5分くらい。駅は有人だが小さい。そして、島鉄は高い。来た列車はキハ23の残党(だと思う)で、なかなかグー。でも夜なので景色が見えない。干拓の様子も分からない。
諫早駅に併設してあるミスドで夕食にする。そして、長崎行き(旧線経由)に乗る。来た列車はキハ58ながらシーサイドライナー仕様で、リクライニングシート。しかも背もたれが深く倒れる。グリーン車の廃車発生品らしい。これはいい。くつろげる。途中スイッチバックがあってびっくりする。夜なので外の風景はわからない。ようやく長崎に到着。
2000年03月04日(土) さよなら食堂車&九州全域めぐり 4日目 [長年日記]
■ 「白いかもめ」試乗会
朝起きると、長崎は雨だった。朝食をバイキングにしたので、食べなきゃ損とばかりにたらふく食べる。
長崎駅へ。受付を済ませる。二人分の資料とジュースがもらえた。それにしてもすごい人だ。しかも、多くが地元の鉄でも何でもない一般市民。
試乗会のあとは、頼まれているカステラを買いに福砂屋へ。そして、「やっぱ長崎に来たらチャンポンか皿うどんを食べにゃあなるめえ」ということで、中華街方面へカンで移動。チャンポンを食べる。そのあと、わずかな時間で出島跡を観光。現在、当時を再現する工事が進行中。
■ 特急シーボルト
長崎から特急「シーボルト3号」に乗る。元々「オランダ村特急」「ゆふいんの森II世」だが、快速「シーサイドライナー」がフリークエント運転をしているのにわざわざ特急を走らせる意味があるのだろうか?だったら「ゆふいんの森II世」のままにしておいて、「ゆふいんの森」を増便した方がよいのではないか?案の定、車内はがらがらである。ビュフェも使われていなかった。雨なので前面展望も望めず。
■ 筑肥線
ハウステンボスで下車して写真撮影、それから特急「ハウステンボス」で有田へ。車両は485系、インテリアは派手だがくたびれているのは否めない。有田から松浦鉄道で伊万里へ、写真撮影。駅前のローソンで荷物を家に送る。筑肥線で山本へ、唐津線で多久へ。さすがにこの時間では、駅員もいないし、駅前は寂しいし、駅は工事中で薄暗いし。長居するところではないが、ここで行き違いをする以上、どうしても待ち時間ができてしまう。ようやく来た列車で西唐津へ。腹が減ったが、西唐津駅前はどちらかというと住宅街でコンビニすらない。唐津に戻って、キオスクでお菓子を仕入れる。そして、筑肥線で筑前前原(103系)、乗り換えて博多へ(福岡市交1000形)。期待していた303系は、向かいに止まってはいたが乗ることはできなかった。
ようやく博多に到着。吉野家で夕食。そして、22時台にもかかわらず、西戸崎往復を決行。こうでもしないと今回の旅行で25駅すべてに行くことはできないんだ。そして「ドリームつばめ」へ。
2000年03月05日(日) さよなら食堂車&九州全域めぐり 5日目 [長年日記]
■ ドリームつばめ、宿代わり。
5時54分西鹿児島着。とんこつ弁当を仕入れて、6時25分発のつばめ2号で八代までとんぼ返り。当然、熟睡。
■ 肥薩線、急行えびの
八代から、今度の改正でなくなってしまう急行えびのに乗る。最後の日曜日というだけあって、車内には鉄の姿もちらほら。人吉で長時間停車している間に、駅弁「くりめし」を購入。そして、今日のメインイベント、大畑。鉄がいるわいるわ。というのも、ここがスイッチバックとループ線の両方を持つ駅というのもあるが、ここで上下の「えびの」が行き違いをするのだ。もちろん私を含む乗車組も撮影に参加。興味の無い方々には滑稽に見えたろう。それにしてもすごい勾配だ。雨が降っているが空転してしまわないだろうか。キハ58は重いから大丈夫か。
次の矢岳ではホームに蛇口があり、天然の水を汲めるようになっている。「汲んでる人がいるなぁ」と思ったら、車掌だった。ここにはSLが静態保存されている。現在「あそBOY」で活躍している58654もここに保存されていた。真幸の手前で峠を越える。この辺りの車窓は絶景らしいのだが、雨のせいで見えない。真幸もスイッチバック。
■ 吉都線、日南線
そして吉松。連絡をとるため長時間停車。ここから吉都線へ。チャレンジ九州2000kmのため小林で途中下車。宮崎自動車道が見えたが車は殆ど走っていない。都城に到着。
都城からバスで志布志へ出て、日南線へ。南宮崎から、ドリームにちりんに乗車。
2000年03月06日(月) さよなら食堂車&九州全域めぐり 6日目 [長年日記]
■ 門司港へ
「ドリームにちりん」を小倉で降りる。さすがにまだ3月、寒い。小倉から「ドリームにちりん」に乗る客もいた。時間があるので駅をぶらぶらしたのち、門司港行きに乗る。さすがにこの時間なら空いている。
■ カメラなくした・・・
門司港で写真を撮って、南福岡行きに乗り、八幡で降りる。若松へ行くのに筑豊本線は列車がないので、ここからバスで若戸大橋を渡っていこうという作戦である。が、荷物チェックをしてみると、カメラがない。カメラがなくては話にならないので、すぐ後の快速に乗って追いかける。戸畑で追い付き、乗っていた付近を調べるが、ない。車掌にも話したが、わからない。朝早いから乗客など少なく、まして最後尾だから不審な行動は車掌の目に留まるはずだが、そのようなことはなかったという。通路向かいにいた客も、初めからなかったとか言っている。そんなはずはないぞ、門司港では確かに持っていた(三脚がついたまま)。車内で三脚を外し、八幡で降りたときはなかったのだ。あまり先へ行っても仕方がないので、折尾で降りて、門司港駅に連絡を取ったり、遺失物届けを出したりした。終着の南福岡駅にも問い合わせたが、やっぱりない。カメラはどこかへいってしまった。中に入っていた努力の結晶(フィルム)といっしょに。
■ 甘木鉄道、久留米
カメラがなければ駅回りをしても無意味なので、郵便局回りにチェンジ。
なんとなく鳥栖へ行き、一つ博多よりの基山へ戻り、甘木鉄道に乗って甘木へ、西鉄で久留米へ。
とうとうやってまいりました、れなぽんの出身地・久留米。もちろんここへ来たからには、ラーメンを食べねばなるまい。博多のそれとは一味違うおいしさ。西鉄からJRまで2kmあまり歩いて、佐賀へ。時刻は5時前、こんな時間では中央局しか開いていないので、バスを使って(120 円)行く。
郵便局の前のデオデオで携帯電話の、いや、ドコモのカタログを物色。なぜならドコモ九州のイメージキャラはれなぽんなのだ!だから九州に上陸してからずっと探していたんだけど、ドコモショップそのものがあまりないし、あってもカタログを置いてなかったり。そして、ようやくゲット。
■ 「あかつき」佐世保編成
鳥栖から特急で佐世保へ行き、やはりこの春でなくなってしまう、佐世保発の寝台特急「あかつき」の乗車。しかもソロ。
2000年03月07日(火) さよなら食堂車&九州全域めぐり 7日目 [長年日記]
■ フィナーレ
朝起きたら、列車は芦屋のあたりを走っていた。もう大阪に戻ってきてしまったのだ。ぼーっと外を眺める。着替える。そして京都着。
新幹線改札横の喫茶店で、先輩と朝食を摂る。先輩はここから新幹線で名古屋へ帰る(ただし新幹線に乗るのは米原まで)。私は大阪へ戻り、郵便局巡り。そして、バイトがあるので午後3時頃に大阪を出る。そのままバイトへ行きました。
2000年03月08日(水) [長年日記]
鉄研の取材で長良川鉄道本社(岐阜県関市)に行く。今回は長良川鉄道に取材を申し込んだ、本当の意味での取材。12時45分現地集合なのて9時半に家を出る。旅行帰りで、かつ昨日は深夜3時まで起きていたので、8時起床が辛い。多治見経由で行ったが、電車の中では寝てばっかり。終点で起こされること二度。
取材では、大きな成果があった。応対も親切で、大変好感が持てた。窓の外では雪がたくさん降っている。
帰りは鵜沼経由。霰が降った。久し振りに名鉄の本線系に乗る。英語表記入りの方向幕がこんなに普及しているとは思わなかった。
さて、今日は中目黒で惨事があった。出掛ける前にテロップが入ったので事故そのものは知っていたが、「脱線、けが人30名程度」という内容だったので気にしていなかった(速度にもよるが脱線だけなら軽傷で済む。脱線事故は報道が大騒ぎしすぎ。脱線ついでに横転したり転落すると死者が出る)。が、帰ってきてびっくり、死者が出たというではないか。擦れ違った反対列車に突っ込んだという。しかも原因がよくわからない。「日比谷線にどんな人が乗っているか」なんてどうでもいい。過密運転が原因とか、車両に強度がないからとか、そんなの理由にしてほしくない。必要があるからそうしているのだ。過密運転は客が多いから、強度がないのは軽量化を図ってコストを下げているから。それが嫌なら都市に住むな。
とにかく、亡くなられた方々のこ冥福をお祈りいたします。これこそ、「運が悪かった」。
2000年03月09日(木) [長年日記]
成績表を取りに行く。結果。ぎりぎり作戦失敗。なんだこれは。ひどすぎ。なんと今期修得単位数9.5単位(笑)・・・・・・って、笑いごとじゃない。確かに今期は講義が少なく、特別履修を含めて13コマ23.5単位。で、内訳は優1、良4、可1、不可7。合格率半分以下。必修の英語や実験安全学や無機・物理化学演習第1、落とすとめんどくさい総合科目は通ったが、多くの専門科目と中国語C2はさようなら。通ると踏んでいた電気化学や量子化学、そして言語まで落としたのは痛い。来年の後期は特別履修の嵐になりそう。でも担任の教授によると、通算総単位取得数(77)はこれくらいが平均らしい(卒業要件126)。みんな結構落としまくってるのか。
最近、携帯電話の電波受信状況が悪い。いつもならバリ3のはずの所がバリ1やバリ2、まれに圏外。でも、いつもというわけじゃないから、故障なのか本当に電波が弱いのかわからない。どうすりゃいいのさ。一度J-PHONE SHOPに持っていきますか。関東限定だったマーブルホワイトが東海にも登場するそうで。無償交換になったら色変えてくれないかな。無理か。
2000年03月11日(土) [長年日記]
クイズ研の卒業記念品を買うため佐々木と「栄に10時」に待ち合わせ。が、見事に寝坊。1時間15分遅れ。ふにゃ〜。それから・・・・・・おっと、この後は追いコンまでのおたのしみ。何を買ったかわかっちゃったらつまんないからね。
夜は鉄研の追いコン。いつもに比べれば騒いでない。食べる飲む食べる飲む食べる飲む。その後カラオケ。一通りアニソン。「それ行け若鷹軍団」を歌えるようになったのは誰の影響だろ。まあいいや。
今日特に用事がなければ金山駅のSUPER BELL"Sのライブに行こうと思ったのだが。話によると無料なのですごい人だったらしい。
2000年03月12日(日) [長年日記]
オープン戦を見にナゴヤドームへ。寝坊したのでドームに着いたのは試合開始の1時を少し過ぎたころ、1回ウラから。外野だけ超満員。中日スポーツが読者招待をやった結果。俺も応募したけど外れた。別の日にしたかったけどスケジュールが合わず、この日しかなかった。というわけで環境にイライラ。試合も3安打零封、よけいイライラ。井上はまた応援歌が変わった。
というわけで、イライラ解消のため名駅のタイトーインへ。昨日・今日は音ゲーオール100円。だけど混んでて、また電GO!3にやな客がいて、それにアミーゴのコードが切れてるのを知らずにお金を入れてしまい、よけいイライラ。カルシウム不足かな、旅行中の。
2000年03月14日(火) [長年日記]
地獄の細道1日目。今年は通路に椅子が置けないらしい。特に濃いいのもいなかった。
それより企画。ヤルーキ減退の中、強引に問題を作る。まだセットが・・・・・・。
2000年03月15日(水) [長年日記]
地獄の細道・前期2日目。前日企画準備で朝5時まで起きていたため、起きたのは昼。大遅刻。行ったら終わってた。すんません。
その後本山で音ゲー大会。マラカスに進歩あり。今までよくトンでいたHardがそれなりにできるようになった。
2000年03月16日(木) [長年日記]
朝9時の集合となっていたが15分ほど遅れて、集合場所である東山ナフコ前に到着。すんません。
中津川へは、車が足りないので車組と電車組に分かれる。おいらはもちろん電車組。セントラルライナーに乗ろうかと画策したが、運悪く(?)普通の快速があった。まあ113系だったのでよしとしましょう。車内ではみんなが寝てる中、車窓を楽しむ。
中津川では、待ち合わせ場所のアピタ(志津さん曰く、街の規模と不釣り合いにでかい)に車組より40分ほど先に着く。暇潰しは、とーぜん、踊る、叩く、弾く。車組も合流。100円と知ったときの反応が同じ。寄田さん、小中さんとセッションする。実は初セッション。電GO!もあったが、何と初代(1。EXでもない)。でも一回プレイ。
春合宿の企画第1弾は大中さん。1vs1総当たり。結果、6勝5敗5分け、勝ち点23。美宝堂とSO.YA.NAが悔やまれる。68音イントロは難易度高く、1○2×。夕食は耐え難きまずさ。一昨年までは一応できたてだったらしいが、今年はとうとう弁当になってしまったようだ。こんなまずい飯でよく商売できるもんだ。さすがの俺でも残す。
夜は小林企画。記憶障害多発。潜水艦撃沈さる。11時で研修室から追い出される。使っているのは我々だけなんだからそう目くじら立てなくてもよいと思うのだが、規則らしいから仕方がない。
そして今日のメインイベント、美味しんぼ企画。かろうじてペーパー首位。2Rの「美味しんぼが前フリになってる普通の問題」で爆笑。めっちゃ押したかった。就寝3時半。
2000年03月18日(土) [長年日記]
朝は空き時間。寝てよっかなと思っていたが、なんか健康で文化的な生活を送る気になったので、体育館へ。梶井や志津さんと卓球する。それから雑談。
昼は今村企画。ボケ多発。ペーパーでは取れるはずの問題を3問落とし(うち1問は解答欄の場所を間違える)、その後も傾向の不一致に苦しむ。ぷしゅう。
夜は志津さんの競馬企画。準備に時間がかかっていたのでロビーで雑談。「コーヒー牛乳は雪印に限る」という妙なところで化生3人の意見が一致(ついでに、牛乳は低温殺菌に限る。美味しんぼ参照)。で、企画は、さすが志津さん、セットが美しい。 レジュメ見たとき思った通り、大幅な時間オーバー。深夜2時すぎまでかけてようやく予選レースが終わる。
さらにその後、夜会(名称はこれでよいのか?)。沖田さんがどえで使った問題をやる。永田さんには及ばなかったがボラさんを上回るかなりの好成績。やはり色物に強いようだ。4時就寝。
2000年03月19日(日) [長年日記]
とうとう最終日。まずい飯とも今日でお別れ。俺はそれほどでもなかったが、今朝は耐えられないほどまずかったらしい。
朝はひそかに優勝を狙っていた勘オブ2000が中止になって、大会のリハーサル。その前に、有馬記念。ぎりぎり漏れる(賞金ランキング10位)。11頭立てだったが、志津さん曰く、賞金上位11傑に入っていながら有馬に出られなかったのは俺だけらしい。レジュメに「基本的には」と書いてあったし、まぁ予想の範囲。レースはトラブルメイカー(大中さん)が優勝。リハーサルの内容はここには書けん。
昼食。反省してます。ごめんなさい。
ボウリング。内容はいつもくらいなのだが、勝負弱い。ストライクやスペアの後の大事な投球が1ピンとか3ピンとか。100に届かず。
帰りは寄田さんに無理を言って家まで送っていただく。ふわー、やっと合宿が終わった。でも追いコンしあさって。
2000年03月20日(月) [長年日記]
下宿の鍵を取りにミニミニ杁中店へ行く。まだ部屋を見ていないので、家具選びのためにおかんを連れていく。ミニミニ(正確にはミニテック)にはおかんのいとこが勤めているので、会わせたろーという意味もある。
ミニミニでは何か手続きすると思っていたら、鍵と書類を渡されただけ。5分もかからず終了。車の置き場がないので電車で行ったため、杁中から下宿まで30分近く歩く羽目に。
部屋は間取り図や写真でイメージしていた通り。今は何もないから広いが、机だのベッドだのを置いていくと、結構狭くなりそう。徹クイできるほどの広さがあるか。とりあえず、まだ電気も水道も開通してないんで、住むのはもう少し先。
2000年03月21日(火) [長年日記]
企画準備。小道具を作り上げて、完成。うひゃひゃ。
いつも使う赤池駅といりなか駅が改装工事をしている。いりなかのエレベーター設置はともかく、上小田井延長時に新型に差し替えた案内板をわざわざ取り外して付け替える必要はなかろう。現在でも不自由していないんだから。税金の無駄遣いに見える。
2000年03月22日(水) [長年日記]
クイズ研の追い出し企画&コンパ。企画者&幹事なのでとっても疲れる。
企画は、これでもかというほどの色物を取り揃えた。近いうちに砂塵嵐にも書くし「クイズ全書」にも載せるけど、いやーすごかった。爆笑。心配されていた時間についても、何とか収まった。早押し機の到着が遅れたが、私の連絡不徹底+不慮の事態か。反省点。
で、コンパ。手際が悪くて&代金高くて申し訳ありません。次回(たぶん新歓)からは飲み放題やめます。ちなみに、全員で頭割りすると一人3500円、また酒類は一杯450〜500円なので飲み放題は一人3杯飲むと元が取れる計算でした。幹事はつぶれるわけにはいかないので思う存分酒が飲めない。辛いのう。
その後(独断で)カラオケ。なんか本末転倒らしい。参加者少数。DAM-DDRは判定が厳しい。歌いながら踊るのは無理。踊るのに専念しても、一曲が長いのでANOTHERではゲージがなくなってしまう。
終電で帰宅。あれ、昨日も乗ったような。
2000年03月23日(木) [長年日記]
ようやく肩の荷が降りたので、お昼過ぎまでぐうぐうぐう。午後からバイト。今日はそれでおしまい。
3月も23日となれば、塾も暇である。主力である中3は受験が終わって結果も出て、報告に来ることはあっても授業をすることはない。私立に受かってる生徒の場合はもっと暇で、授業と称してイラストロジックとかしてたりする(塾長公認)。春季講習もあるが申し込みが少なく、暇を貰うことにした。一人暮らしを始めれば、このバイトの収入(約3万円。実験が始まれば早いコマには行けなくなるので減収の見込み)だけでは足りなくなるだろう。
2000年03月24日(金) [長年日記]
今日は大須へ自作PCパーツの価格調査へ行く。荷物運搬の都合上原付で行ったら、風は強いし寒いし、雨まで降ってくる始末。あなたの地域では「晴れているのに降っている雨」のことを何と言いますか。そんなことどうでもいいや。何軒か回る。時間なくなる。
それから名駅へ。ツクモや星野書店はおまけの用事で、真の目的は名古屋駅コンコースでやっているリニアのアンケートに答えて、試乗会に参加する権利を得るための抽選に応募すること。たった25組にしか当たらない。けち。
夕食。弟の合格祝いで、焼き肉をたらふく食べる。家族6人で2万円。でもうまかった。
2000年03月29日(水) [長年日記]
携帯の明細が届く。おいらの携帯はJ-PHONEでプランはオフタイムパックなのだが、今月(2/11〜3/10)も無料通話を使い切らなかった。通話料明細を発行させているので試しにトークパック45だったらどうなるか計算したところ、何とそれでも無料通話を使い切っていないことが判明。プラン変えよっと。
2000年03月30日(木) [長年日記]
大中さんから冷蔵庫と洗濯機と電子レンジを戴くため、名古屋まで軽トラで行く。この軽トラは何と15年もの、排気量はもちろん550ccである。さらにブレーキの効きが悪く、エンジンブレーキを併用しないと十分な減速度を得られない。軽トラなので乗り心地はもちろん悪い。こんな車で名古屋まで行きたくないのだが、軽トラでないと載らないんだから仕方がない。お手伝い兼名古屋市内ドライバーとして仁井本さんに来ていただく。部屋の鍵を忘れたので、迷惑承知で入り口に置く。
車で名古屋へ来たついでに大須へ行って、ディスプレイやケース、プリンタなどのかさ張る部品を買ってしまうことにする。仁井本さんおすすめの路駐ポイントに駐車。佐々木も合流。あちこちで購入したり、それらの他にパソコンデスクを品定め、注文したこともあって、時間がかかった。その間に、レッカー移動。今日はゼロの日だった。駐車違反の罰金15,000円、レッカー移動の費用12,000円、移動先の駐車料金560円の計27,560円を払う羽目になる。ここで仁井本さんが自ら泥をかぶってくださる。そして駐車料金を除く27,000円を払うと言ってくださる(のち22,000円)。皆の者、仁井本さんを崇めるように。
パソコン部品と佐々木を積んだまま軽トラで豊田へ戻る。軽トラは大変運転しにくく、2度ほど危険な目に遭う。鍵を取って、また名古屋へ。荷物の搬入。豊田へ帰ってきたのは午後10時過ぎ。くたくた。
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